• 付録3 須崎古戦場 すざきこせんじょう


碑の説明

()(あたり)(いにしえ)洲崎(すざき)(ごう)(ぞく)ス、元弘(げんこう)三年五月、新田(にった)(よし)(さだ)鎌倉(かまくら)(ぜめ)(おり)、ソノ部将(ぶしょう)堀口(ほりぐちの)三郎(さぶろう)(さだ)(みつ)大島(おおしま)讃岐(さぬき)守之(のかみこれを)洲崎(すざき)(くち)ヨリ()ム。(かま)倉方(くらかた)(あか)(ばし)相模(さがみの)(もり)(とき)(しょう)トシテ邀撃(げいげき)シ、戦闘(せんとう)六十数度(すうど)(つい)(やぶ)レ、(もり)(とき)以下(いか)九十余人(よにん)自刃(じじん)シタル古戦場(こせんじょう)ナリ。

昭和三十一年三月建 鎌倉友青會



〔参考〕

新田義貞が一路鎌倉をめざして南下するのを防ぐため、赤橋守時は6万の兵を率いて須崎 に向かった。仮粧坂の峠にて守るよりも、前に出て新田軍を迎え討とうという計略で、須崎に 陣を備え合戦のかまえをしていた。戦いは6月18日に始まり、一日一夜の間に65度もの切り あいがあったと言う激戦の場所。


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