• 付録7.鎌倉神社仏閣 その1

鶴岡八幡宮治承四年(1180)伊豆で挙兵した源頼朝が石橋山の戦いに一度は敗れるが、安房(千葉県)に逃れ体制を建て直し、父祖ゆかりの東国武士団を率いて鎌倉入りする。この時まず、源頼義が前九年の役で奥州征伐した帰途、ひそかに京都の石清水八幡宮を歓請した由比若宮に参拝し平家討伐と天下統一を誓った。それから一週間後にその社殿を小林郷に移したのが現在の鶴岡八幡宮の起源といわれている。八幡宮を大内裏に、若宮大路を孔雀大路になぞらえたと伝えられている。以後、源氏の守護神として崇拝している。
高徳院
(大異高徳院清泉寺)
本尊は鎌倉唯一の国宝仏、阿弥陀如来座像(鎌倉大仏)像高約11m、台座を含めると約13m、顔の長さも約2.4mもある。暦仁元年(1238)の着工当時は木造だったが、建長四年(1252)に金銅製の大仏が始まったと吾妻鏡に記されている。内部は空洞になっていて、拝観が可能。観月堂、与謝野晶子歌碑などの見所もあります。
長谷寺
(海光山慈照院長谷寺)
藤原鎌足の子、房前が特道上人を鎌倉に招いて天平八年(736)に創建したと伝えられる国の重要文化財に指定されている梵鐘に文永元年(1264)の銘があるので、鎌倉時代に隆盛を誇っていたことは確かといえそう。9.18mの巨体を誇る本尊の十二面観音像は木製としては国内最大級、長谷観音といわれて親しまれています。境内には四季の花が次々に咲き継ぐが、特に経蔵背後のアジサイの群落は見応えがあります。
東慶寺覚山尼が開山した、鎌倉尼五山で唯一現在する寺。「縁切り寺」の名で親しまれ、女性から離婚できなかった時代に、寺に駆け込んだ女性に限り夫に離縁状を書かせる特権があった。
明月院アジサイで有名だが、新春のスイセン、蝋梅に始まって、秋の紅葉にいたるまで、四季を通じて美しい花の寺。境内の明月院やぐらは現存するやぐらでは鎌倉最大規模です。
海蔵寺早春の梅に始まって、鎌倉一勢いのあるカイドウや紅白の萩など、四季を通じて花の多い寺。水にゆかりが深く、門前に底脱の井があります。
浄光明寺本尊の阿弥陀三尊は国の重要文化財で、形抜きした粘土を貼りつけ模様を描く土紋の装飾法など、写実性を求めた宋朝美術の影響が見られる代表的な鎌倉仏です。
英勝寺大田道灌の邸宅跡に立つ鎌倉唯一の尼寺。道灌から4代目の康資の娘で徳川家康の側室お勝の方(英勝院)が創建、代々水戸徳川家の息女を住職に迎え、水戸御殿とも呼ばれています。
宝戒寺新田義貞の鎌倉攻めから三年後、朝廷軍の大将だった後醍醐天皇の発願により、北條一族の霊を慰めるため足利尊氏が創建した。9月中旬には白萩が境内を埋め尽くし萩寺として有名です。
鎌倉宮建武新政の功労者として征夷大将軍になりながら、足利尊氏と対立して幽閉され一年後には暗殺された、大塔宮護良親王が祭神。社殿背後に親王が幽閉されたという土牢があります。
瑞泉寺夢窓疎石が禅院にふさわしい景勝地としてここに創建した。本堂の裏に岩盤を巧みに削り天女洞、池、中島などを備えた、池泉式庭園がある。鎌倉有数の梅と紅葉の名所です。

  • 付録7.鎌倉神社仏閣 その2

杉本寺天平六年(734)に創建されたと伝えられる鎌倉最古の寺。本尊の三体の十一面観音、円仁作と源信作と伝えられる二体は国の重要文化財に指定されています。
報国寺「竹庭の寺」として有名な寺。足利・上杉両氏の菩提樹として栄えた。本堂裏に石仏や灯篭が配置された、美しい竹林があります。
本覚寺佐渡の配流先から鎌倉に戻った日蓮が、滞在したと伝えられている夷堂を昭和58年に復元した。身延山から分骨した日蓮の遺骨が納められた日蓮上人御分骨堂があります。境内にはサルスベリの大木もあります。
妙本寺幕府の重臣比企能員一族の邸跡で、北條氏に滅ぼされた比企一族の霊を弔うため、生き延びた能員の末子、三郎能本が創建した。鎌倉最大級の木造建築です。
安養院鎌倉一のツツジ寺として有名。北條政子の法名「安養院如実妙観大禅士」が寺名の由来。本堂の裏てに政子の供養塔といわれる、小さな宝篋印塔があります。
妙法寺鎌倉のコケ寺として有名な日蓮宗の寺。護良親王の遺児・日叡上人が亡き父の菩提を弔い、宗祖日蓮が草庵を結んだ地に、その遺蹟を守るために再興した寺と伝えられていまし。
長勝寺本堂前の巨大な日蓮像は高村光太郎の父、高村光雲の作。本堂左の祖師堂は法華三味堂とも呼ばれ、室町時代の唐様建築の様式がみられ、県の重要文化財に指定されています。
久品寺鎌倉に攻め入った新田義貞はこの地に本陣を構え、境内裏手の高台から陣頭指揮にあたったという。この時の戦没者を慰霊するため創建された寺で、山門の「内裏山」と本堂の「九品寺」の扁額は、新田義貞の直筆を写したものです。
光明寺芝に増上寺が創建されるまで、浄土宗の関東大本山として栄えた寺です。三門や本堂は現在する、木造古建築では鎌倉最大の規模を誇ります。本堂脇の庭園や三尊五祖の庭も見応えがあります。
極楽寺開山の忍性は社会福祉の祖とも呼ばれ、貧民や病人救済などの社会事業に力を注ぎました本堂前に病人のために茶をひいた石臼や製薬鉢が残されています。本尊の清涼寺式釈迦如来立像は秘仏で、釈迦誕生日前後の4月7~9日のみ開扉されます。
成就院弘法大師が修行したといわれる霊場の跡に創建された寺。山門にいたる参道の両脇に、般若心経の文字数に合わせ262株のアジサイが植えられている。鎌倉一のアジサイの名所です。
佐助稲荷神社幼名を佐殿と呼ばれた源頼朝が、蛭ガ小島に流されていたとき、神霊が挙兵を勧めたことから感謝して、ここに社殿を建てたと伝えられています。佐殿を助けたところから佐助の名がついたと言われています。
銭洗弁財天社頼朝の夢枕に現れた不思議な老人の勧めにしたがって、人頭蛇身の宇賀福神を祭ったのが起源です。境内奥の岩窟から湧き出る清水で、お金を洗い清めると同時に、心身を清め、行いを慎めば、不浄の塵垢が消え、洗浄な福銭になるという、言い伝えがあります。
龍口寺文永八年(1271)日蓮聖人は他人の悪口を言ったという「悪口の咎」で捕らえられこの地に送られたが、奇跡により助けられたという、滝の口法難の刑場跡に建立された日蓮宗霊蹟本山。総門左手の広場に「日蓮大聖人御法難乃霊地」の石碑が立っています。

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