此邊ハ往事二於ケル屋敷町ト商家町トノ境ヲナス地點二位シ、幕府二近キコトトテ殷賑ヲ極メシ所ナリ。建長五年五月、日蓮聖人房州ヨリ鎌倉二来リ、松葉ヶ谷二草庵ヲ結ビ、日二日二此邊ノ路傍二立チ、弘通ノ為メ、民衆二対シ獅子吼ヲ續ケシ阯ナリトテ、世二辻説法ノ舊蹟ト傳ヘラル
昭和十一年三月建 鎌倉町青年團
建長5年は1253年、上人は比叡山での修行を終え安房清澄山に帰り、諸経は方便であり、法華経のみが釈尊の真実の教えであると説きました。土地の豪族東條景信はこれを邪説として上人を迫害します。為に上人は、父母二人を説いてこれを弟子にし、鎌倉に移り、この辺りの繁華街(当時)で「辻説法」を行いました。時に上人32歳。なお、父に与えた法名は妙日、母は妙蓮、後に両親の一字をとって日蓮と名乗りました。碑のそばに、日蓮掛石がならんでいます。
〔参考〕
法華経こそ釈迦の教えを正しく教える経典だと、日蓮宗を立宗した日蓮聖人は、鎌倉に入り、 武家屋敷と商家町の境として賑わっていたこの地で、下級武士や庶民を相手に熱心に法華経の 教えを説いた、日蓮宗発祥の地。現在は石碑と日蓮腰掛石が竹垣に囲まれています。