• 8 北條執権邸舊蹟 ほうじょうしっけんていきゅうせき


碑の説明

往時(おうじ)()()北條(ほうじょう)()小町亭(こまちてい)()リ。義時(よしとき)以後(いご)累代(るいだい)執權(しゅっけん)(おおむ)(みな)(これ)(じゅう)セリ。()相模(さがみ)入道(にゅうどう)朝暮(ちょうぼ)宴筵(えんえん)()リ、(とき)田樂(でんがく)法師(ほうし)(たい)シ、列坐(れつざ)宗族(そうぞく)巨室(きょしつ)(とも)ニ、直垂(ひたたれ)大口(おおくち)(あらそ)()キテ、纏頭(てんどう)(やま)(きづ)ケリト(ゆう)フモ()(てい)ナリ。元弘(げんこう)三年新田(にった)(よし)(さだ)亂入(らんにゅう)(さい)灰燼(かいじん)()ス。(いま)(ほう)戒寺(かいじ)建武(けんむ)二年、足利尊(あしかがたか)(うじ)高時(だかとき)一族(いちぞく)怨魂(えんこん)弔祭(ちょうさい)(ため)北條(ほうじょう)()菩提寺(ぼだいじ)東勝寺(とうしょうじ)()(てい)故址(こし)再興(さいこう)シ、(もっ)(その)()(あらた)メシモノナリ。

大正七年三月建之 鎌倉町青年會



「往時」は「おうじ」でむかし。「(てい)」は屋敷。相模(さがみ)入道(にゅうどう)高時(だかとき)のこと。「朝暮」は「ちょうぼ」と音読する。あけくれの意。「宴筵」は「えんえん」で宴会の席のこと。「田楽法師」は「でんがくほうし」と読む。田植え祭など田の豊作を祈願する民謡から発展、平安から室町時代にかけて流行しました。現在は歌詞が残っていないのでよくわからない。宗族(そうぞく)は一族。この場合は北条(ほうじょう)()一族。「巨室」は「きょしつ」とよみ、主君に仕え勢力のある家柄。倶には「ともに」。「直垂」は「ひたたれ」。貴族や武士の日常服。「大口」は「おおくち」。下袴(したはかま)の一。裾口の大きく広いもの。昔は衣装を与えるのが習わしであった。自分の衣服をその場で脱いで褒美(ほうび)として与えたのです。纒頭は「てんどう」とよみ、芸能人に与える褒美。


〔参考〕

鶴岡八幡宮前の赤い大鳥居を右に折れて付き当たった所が寶戒寺で、ここが「北條執権屋敷跡」です。二代執権北條義時以来、北條高時まで、幕府権力の中枢の地でした。比企能員(おしかず)を招き入れ謀殺したのもここ北條氏の邸です。


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