• 13 足利公方邸舊蹟 あしかがくぼうていきゅうせき


碑の説明

頼朝(よりとも)開府(かいふ)(はじめ)足利(あしかが)義兼(よしかね)(きょ)()()(ぼく)シテ以来(いらい)二百數(にひゃくすう)十年間(じゅうねんかん)子孫(しそん)相嗣(あいつ)イデ()(じゅう)ス。尊氏(たかうじ)()(にぎ)リテ京都(きょうと)(うつ)ルノ(あと)(その)()義詮(よしあきら)二代(にだい)将軍(しょうぐん)トナリテ京都(きょうと)(やしき)()ギ、義詮(よしあきら)(おとうと)基氏(もとうじ)(かん)(とう)管領(かんれい)トナリテ、兵馬(へいば)(けん)()(やしき)()ル。(しか)シテ(これ)子孫(しそん)(つた)フ。子孫(しそん)京都(きょうと)比擬(ひぎ)シテ公方(くぼう)僣稱(せんしょう)ス。享徳(きょうとく)四年、公方(くぼう)(しげ)(うじ)執事(しつじ)上杉(うえすぎ)憲忠(のりただ)トノ不和(ふわ)(こと)ヨリ下總(しもうさ)古河(こが)(うつ)ルニ(およ)ビテ(つい)(なが)廃墟(はいきょ)トナル。

大正九年三月建之 鎌倉町青年會



開府(かいふ)頼朝(よりとも)が鎌倉で武家政権を樹立したこと。頼朝(よりとも)関八州(かんはっしゅう)(現在の関東地方)の支配権を獲得しました。兵馬(へいば)(けん)は軍事の権力。比擬(ひぎ)の比はくらべる。()はなぞらえる。(あわ)せてまねする。「公方」は「くぼう」とよみ将軍のこと。「僣称」は「せんしょう」とよみ、身分を越えて名乗ること。「成氏」は「しげうじ」で第5代の関東管領。」持氏(もちうじ)の子。下総古賀(しもふさこが)埼玉県に古賀という駅があります。


〔参考〕

足利尊氏が源家の拠点とした鎌倉を離れ、京都に幕府を開くにあたって、鎌倉の要地を保持するため、我が子基氏をこの地に住まわせ、関東一円の軍事の権を任せた。関東管領と呼ばれていたが、後に京都の将軍を公方と呼んだところから、関東管領も鎌倉御所とか公方と称するようになり、この公方を補佐する執事職を関東管領と呼ぶようになった。


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