• 18 遍界一覧亭旧蹟 へんかいいちらんていきゅうせき


碑の説明

(てい)嘉暦(かりゃく)三年、夢窓(むそう)国師(こくし)建立(こんりゅう)ニシテ、五山(ござん)(そう)()屡々(しばしば)詩会(しかい)(もよお)セシ(ところ)ナリ。(しかる)ルニ其後(そのご)頽廃(たいはい)セシヲ徳川(とくがわ)光圀(みつくに)一堂(いちどう)()テ、(その)(かたわら)(りょう)(もうけ)ケ、一覧(いちらん)(てい)集詩板(しゅうしばん)()ケシトイフモ、堂寮共(どうりょうとも)(いま)ナク、礎石(そせき)(そん)スルノミ。「(まえ)もまたかさなる(やま)のいほりにて(こずえ)につゝく(にわ)白雪(しらゆき)」ハ夢窓(むそう)国師(こくし)此亭(このてい)ニテ()メルモノナリト(つた)ヘラル。

昭和十年三月  鎌倉町青年団建



瑞泉寺(ずいせんじ)のうら山の中にあるが文章にもあるように今はなにもありません。五山(ござん)とは鎌倉(かまくら)五山(ござん)で第一建長寺(けんちょうじ)、第二円覚寺(えんかくじ)、第三寿(じゅ)福寺(ふくじ)、第四は浄智寺(じょうちじ)、第五は(じょう)妙寺(みょうじ)。これらの寺の僧のことを五山(ござん)(そう)といいます。「屡々(しばしば)」は「しばしば」とよみます。集詩板は詩(漢詩)を集めてこれを板に書いたのです。その板亭(ばんてい)には屋敷をいう場合と、四方があけはなしになっているあづま屋の意もあります。本文はあづまや。明治以前は詩というと必ず漢詩を意味したが夢想(むそう)国師(こくし)の作品は和歌でちょっと碑文には ごたつきが感じられます。漢詩のなかにたまたま和歌も加えられたのでしょうか。遍界(へんかい)とは、三千世界のことです。


〔参考〕

江戸時代、水戸光圀が夢窓国師を慕って瑞泉寺やって来て、本堂裏の庭園の上に再興したが 現在は小さな堂があるだけ。見晴らしは素晴らしく冨士、箱根、鎌倉の山並みも一望できます。


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