此所ハ願行上人ヲ開山トセシ、五峰山理智光寺ノ址ナリ。建武二年、淵邊伊賀守義博ハ足利直義ノ命ヲ承ケ、護良親王ヲ弑シ奉リシガ其御死相ニ怖レ、御首ヲ傍ナル藪中ニ捨て去リシヲ當寺ノ住僧拾ヒ取リ山上ニ埋葬シ奉リシトイフ。
昭和七年三月建 鎌倉町青年團
建武2年は1335年。淵辺義博の拠点は現在の淵野辺、郷土史家は、そんな悪い人物でないと言いますが・・・。足利直義は、尊氏の弟。兄によって毒殺されました。ちん毒による。浄妙寺の一角に幽閉されたのち毒殺。弑しは(しいし)とよむ。臣下が主君を殺害すること。護良は最近の学界では(もりよし)とよみます。 薮中は音読して(そうちゅう)
〔参考〕
永福寺跡の石碑前のT字路を入りしばらく歩くと、住宅地の中に石碑が立っている。 山号は五峰山といい、南北朝の頃までは理智光寺と呼ばれていた。 江戸時代は尼寺として東慶寺の末寺になり、石碑が建っている前あたりに、阿弥陀堂があったが、 明治期に廃寺となりました。