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大藏(おおくら)幕府(ばくふ)ニ四門(しもん)アリ。方位(ほうい)ヲ以(もっ)テ名(な)ヅク。其(その)東(ひがし)ニアルモノヲ東御門(ひがしみかど)卜謂(い)フ。今(いま)轉(てん)ジテ地名(ちめい)トナル。法華堂(ほっけどう)ノ東方(とうほう)一帯(いったい)ノ地(ち)、即(すなわ)チ是(これ)ナリ。
大正十五年三月建 鎌倉町青年團
法華堂(ほっけどう)は、頼朝(よりとも)の死後、そこにかれの肖像をかかげ、持仏を安置し霊を慰めたところです。堂前の碑文は27法華堂(ほっけどう)跡を参照してください。
〔参考〕
大蔵幕府は東西南北の四方にそれぞれ門を設けていたので、この碑の建つあたりに東方の門があったと思われるが、今は「碑」のみで鎌倉市の行政ではこの地域を西御門と呼称している。