• 25 大蔵幕府舊蹟  おおくらばくふきゅうせき


碑の説明

(いま)(へだた)ル七百三十七年ノ(むかし)治承(じしょう)四年、(みなもとの)頼朝邸(よりともやしき)()()(いとな)ミ、(のち)覇権(はけん)(にぎ)ルニ(およ)ビテ、(まつりごと)()(てい)(ちゅう)()ク。所謂(いわゆる)大蔵(おおくら)幕府(ばくふ)(これ)ナリ。爾来(じらい)頼家(よりいえ)實朝(さねとも)()テ、嘉禄(かろく)元年、政子(まさこ)(こう)幕府(ばくふ)宇津宮辻(うつのみやずし)(うつ)レルマデ、()()覇符(はふ)中心(ちゅうしん)タリシコト、(まこと)二四十六年(かん)ナリ。

大正六年三月建之  鎌倉町青年會



碑文には句読点はありません。読者の便宜を考え、適当に施しました。これらの碑文は、旧鎌倉(かまくら)師範学校の国史科の教授の方々によってなったものです。

文語文の力強いリズム、史話の面白さ、彫字の美しさなど、石碑から石碑をたどるのも、また楽しいものです。


〔参考〕

治承四年(1180)頼朝が鎌倉に入ると、最初に居をかまえ幕府を開いた、武家政権発祥の地、嘉禄三年(1225)に幕府が宇都宮辻子(ずし)に移転するまで、頼朝、頼家、実朝の源氏三代と尼将軍政子が幕府を治めた46年間、武家政治の中心となったところ。たびたびの大火で焼失し現在は石碑と地名だけになっています。


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