今ヲ距ル七百三十七年ノ昔、治承四年、源頼朝邸ヲ此ノ地二營ミ、後覇権ヲ握ルニ及ビテ、政ヲ此ノ邸中二聴ク。所謂大蔵幕府是ナリ。爾来、頼家、實朝ヲ経テ、嘉禄元年、政子薨ジ幕府ヲ宇津宮辻二遷レルマデ、此ノ地ガ覇符ノ中心タリシコト、實二四十六年間ナリ。
大正六年三月建之 鎌倉町青年會
碑文には句読点はありません。読者の便宜を考え、適当に施しました。これらの碑文は、旧鎌倉師範学校の国史科の教授の方々によってなったものです。
文語文の力強いリズム、史話の面白さ、彫字の美しさなど、石碑から石碑をたどるのも、また楽しいものです。〔参考〕
治承四年(1180)頼朝が鎌倉に入ると、最初に居をかまえ幕府を開いた、武家政権発祥の地、嘉禄三年(1225)に幕府が宇都宮辻子に移転するまで、頼朝、頼家、実朝の源氏三代と尼将軍政子が幕府を治めた46年間、武家政治の中心となったところ。たびたびの大火で焼失し現在は石碑と地名だけになっています。