• 31 柳 原 やなぎはら


碑の説明

此邊(このあたり)往昔(おうせき)(やなぎ)名所(めいしょ)ニテ、柳原(やなぎはら)(とな)ヘシ(よし)口碑(こうひ)ニ、「(とし)()たる鶴岡邊(つるがおかべ)柳原(やなぎはら)(あお)みにけりな(はる)のしる()に」ノ古歌(こか)(つた)ヘラル。()作者(さくしゃ)(つまびらか)ナラザレドモ、一説(いっせつ)ニハ北條泰時(ほうじょうやすとき)(うた)トモイフ。現存(げんそん)(やなぎ)ハ、(すなわ)往時(おうじ)名殘(なごり)ナラン

昭和九年三月  鎌倉町青年團建



柳原(八幡宮の中にあり。休憩所を出て国宝館への道の途中)「口碑(こうひ)」(言い伝え)「詳」(つまびらか)とよむ「年経たる」(としへたる)とよむ 「鶴岡辺」(つるがおかべ)とよむ しるし(証拠)な(詠嘆の助詞)歌の大意(年月をへたつるがおかべの柳原の柳は、芽ぶいたことだなあ、春が訪れた証拠として)。泰時(やすとき)は、三代目の執権。


〔参考〕

八幡宮の舞殿の東方、もと薬師堂の前までを称した地名で、このあたりに柳が多かったからや、 片枯れした柳の老大樹が一本あって、水辺に根をおき、わずかに枝葉を生やしていたのが地名の由来ともいわれています。


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