• 32 源平池 げんぺいいけ


碑の説明

壽永(じゅえい)元年(紀元千八百四十二年)四月、源頼朝(みなもとのよりとも)(めい)ニヨリ、専光坊(せんこうぼう)(ならび)大庭(おおばの)平太(へいた)景義(かげよし)()奉行(ぶぎょう)シテ境内(けいだい)(いけ)(ほり)リシコト東鑑(あずまかがみ)()ユ。一説(いっせつ)ニ、夫人(ふじん)政子(まさこ)源家(げんけ)興隆(こうりゅう)祈請(きしょう)シテ()(いけ)營作(ぞうさく)セシメ(ひがしの)(いけ)白蓮(びゃくれん)西(にしの)(いけ)紅蓮(ぐれん)()エ、源平(げんぺい)旗色(はたいろ)(あら)ハシタリト(つた)ヘラレ、源平池(げんぺいいけ)()アリ。

昭和十二年三月建  鎌倉町青年團



寿永(じゅえい)元年は1182年。養和(ようわ)2年が途中から年号が変わり寿永(じゅえい)となりました。専光坊(せんこうぼう)頼朝(よりとも)が石橋山で敗北したときこれを助けた僧で、伊豆山の僧坊にその妻子をかくまいました。その功により八幡(はちまん)宮寺(ぐうじ)の別当となりました。源平池には、「源氏の池の方には中島が三つ、これは産に通じ興隆を意味し、平氏の池の中島は四,これは死に通じる。源氏の興隆と平氏滅亡を祈って造ったとされる池です。


〔参考〕

源氏池には源氏の旗色の白いハス、平氏池には平氏の旗色の赤いハスが植えられていたが 現在は紅白のハスの花が混ざって7月中旬から8月中旬まで美しい花を咲かせています。


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