壽永元年(紀元千八百四十二年)四月、源頼朝ノ命ニヨリ、専光坊並ニ大庭平太景義等奉行シテ境内ニ池ヲ堀リシコト東鑑ニ見ユ。一説ニ、夫人政子、源家ノ興隆ヲ祈請シテ此ノ池ヲ營作セシメ東池ニ白蓮、西池ニ紅蓮ヲ植エ、源平ノ旗色ヲ表ハシタリト傳ヘラレ、源平池ノ名アリ。
昭和十二年三月建 鎌倉町青年團
寿永元年は1182年。養和2年が途中から年号が変わり寿永となりました。専光坊は頼朝が石橋山で敗北したときこれを助けた僧で、伊豆山の僧坊にその妻子をかくまいました。その功により八幡宮寺の別当となりました。源平池には、「源氏の池の方には中島が三つ、これは産に通じ興隆を意味し、平氏の池の中島は四,これは死に通じる。源氏の興隆と平氏滅亡を祈って造ったとされる池です。
〔参考〕
源氏池には源氏の旗色の白いハス、平氏池には平氏の旗色の赤いハスが植えられていたが 現在は紅白のハスの花が混ざって7月中旬から8月中旬まで美しい花を咲かせています。