• 35 鐡  井 くろがねのい


碑の説明

鎌倉(かまくら)十井(じゅっせい)(いつ)ナリ。水質(すいしつ)清冽(せいれつ)甘美(かんび)ニシテ盛夏(せいか)雖涸(いえどもか)ルルコトナシ。往昔(おうせき)(この)(せい)(ちゅう)ヨリ(たか)サ五(しゃく)(あまり)首許(くびばか)リナル(てつ)觀音(かんのん)堀出(ほりだ)シタルニヨリ鐡井(くろがねのい)名付(なづ)クトイフ。正嘉(しょうか)二年(皇紀(こうき)一九一八)正月十七日(うし)(こく)秋田(あきた)城介(じょうのすけ)泰盛(やすもり)甘縄(あまなわ)(いえ)ヨリ失火(しっか)シ、折柄(おりから)南風(なんぷう)(あお)ラレ()薬師堂(やくしどう)後山(こうざん)()(じゅ)福寺(ふくじ)(いた)リ、郭内(かくない)一宇(いちう)ヲモ(のこ)サズ焼失(しょうしつ)セシメ餘焔(よえん)(さら)新清水寺(しんきよみずてら)窟堂(いわやどう)若宮(わかみや)寶蔵(ほうぞう)(どう)別當坊(べっとうぼう)(とう)焼亡(しょうぼう)セシメタルコト東鑑(あずまかがみ)()エタリ。(この)觀音(かんのん)(その)火災(かさい)ニカカリ()(ちゅう)(うず)モレシヲ掘出(ほりだ)シタルモノナラン。尊像(そんぞう)新清水寺(しんきよみずでら)觀音(かんのん)(つた)ヘ、(のち)此井(このい)西方(せいほう)ナル(かん)音堂(のんどう)安置(あんち)セラレシモ明治(めいじ)初年東京(とうきょう)(うつ)セリトイフ。

昭和十六年三月建  鎌倉市青年團



()は小町通りの最奥の地点にあります。十井(じゅっせい)、鎌倉にある十の名水のこと。「()ルル」 枯は草木の場合。「(いえど)も」逆説助詞。・・・であるがの意。正嘉(しょうか)二年は1258年(鎌倉時代)丑ノ刻(うしのこく)(午前一時~三時。昔は二時間をもって一刻(いっこく)とした)。「一宇(いちう)()は家のこと。この場合は寺だから、なかにあるお堂。「窟堂(いわやどう)寿(じゅ)福寺(ふくじ)前の線路をこえて直進、すぐ左側にあります。


〔参考〕

小町通りから鎌倉八幡宮へと通じる道の角にあります。昔、井戸の中から鉄製の観音像が掘り出されたことから、その名がついたという。


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