師常ハ千葉介常胤ガ第二子ニシテ、相馬氏ヲ嗣ギ、巽荒神ノ邊ニ邸ヲ有セシガ、元久二年十一月十五日、歳六十七ヲ以テ端坐合掌ノ裡ニ決定往生ヲ遂ゲ、其結縁トシテ僧俗ノ人々集リ拝セシトイフ。窟中ノ寶篋印塔ハ即チ師常ノ墓ナリ。
昭和七年三月建 鎌倉町青年團
墓は宝筐印塔。次郎は二男のことで固有名詞ではありません。千葉常胤の次男で、相馬氏の養子となった人です。元久2年は1205年。決定=きっと、必ず。結縁=仏道に入る機縁をうることです。師常の極楽往生にあやかりたいと僧侶や俗人が集まって拝んだというほどの意味にとればよい。寿福寺の隣にある八坂神社は、師常が創建したものです。この碑文は吾妻鏡の記述に基づいています。
〔参考〕
千葉常胤の第二子で、治承四年八月、頼朝が石橋山に敗れ、安房(千葉県)に渡ったとき師は父常胤に従って頼朝に味方しました。その後、奥州征伐にも軍功をあげ、奥州行方郡を賞として与えられています。