• 40 相馬次郎師常之墓 そうまのじろうもろつねのはか


碑の説明

師常(もろつね)千葉(ちばの)(すけ)常胤(つねたね)第二子(だいにし)ニシテ、相馬(そうま)()()ギ、(たつみ)荒神(こうじん)(ほとり)(やしき)(ゆう)セシガ、元久(げんきゅう)二年十一月十五日、(よわい)六十七ヲ(もっ)端坐(たんざ)合掌(がっしょう)(うち)決定(けっじょう)往生(おうじょう)()ゲ、(その)結縁(けちえん)トシテ僧俗(そうぞく)人々(ひとびと)(あつま)(はい)セシトイフ。(くつ)(ちゅう)寶篋(ほうきょう)印塔(いんとう)(すなわ)師常(もろつね)(はか)ナリ。

昭和七年三月建  鎌倉町青年團



墓は宝筐(ほうきょう)印塔(いんとう)。次郎は二男のことで固有名詞ではありません。千葉(ちば)常胤(つねたね)の次男で、相馬氏の養子となった人です。元久2年は1205年。決定(けつじょう)=きっと、必ず。結縁(けちえん)=仏道に入る機縁をうることです。師常(もろつね)の極楽往生にあやかりたいと僧侶や俗人が集まって拝んだというほどの意味にとればよい。寿福寺の隣にある八坂神社は、師常(もろつね)が創建したものです。この碑文は吾妻鏡(あづまかがみ)の記述に基づいています。


〔参考〕

千葉常胤の第二子で、治承四年八月、頼朝が石橋山に敗れ、安房(千葉県)に渡ったとき師は父常胤に従って頼朝に味方しました。その後、奥州征伐にも軍功をあげ、奥州行方郡を賞として与えられています。


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