• 42 俊基朝臣墓所 としもとあそんのはかどころ


碑の説明

藤原(ふじわら)俊基(としもと)朝臣(あそん)朝権(ちょうけん)恢復(かいふく)(はか)リテ()ラズ、元弘(げんこう)二年六月三日、北條高時(ほうじょうたかとき)(がい)()ヒ「(あき)()たで葛原岡(くずはらおか)()ゆる()(つゆ)(うらみ)()(のこ)るらん」ト(なが)(うらみ)(どめ)メタルハ()(ところ)ナリ。

大正十五年三月建  鎌倉町青年團



碑は源氏山公園内にあり、近くには葛原(くずはら)岡神杜があります。祭神は日野(ひの)俊基(としもと)。後醍醐天皇は、天皇親政を理想とし、上皇政治を廃止、日野資朝(すけとも)・同俊基(としもと)らに命じて、北條政権打倒を図りますが、事は未然に洩れ、資朝は佐渡へ流罪、俊基(としき)は証拠不十分で放免、天皇は事件に関知せずと弁明し、事なきを得ました(正中の変)。その七年後、再度討幕計画は挫折、天皇は笠置山に難を避けて行幸、資朝は佐渡にて斬、俊基(としもと)葛原岡(くずはらがおか)で刑死しました(元弘の変)。次の()(仏徳・教理を讃美する四句から成るもの)は、俊基(としもと)が死の間際に書き残したものです(『太平記』による)。
 古来一句  古来の一句  無死無生  死もなく生もなし

 万里雲(じん)  万里雲尽き  長江水清  長江の水清し
訳-――古来、人のいのちには死もなく生もなく、空の空なるものだという、人々のよく知る一句があります。まさにそのとおりだと思います。遥かなるかなたに続く雲がやがて尽きる処まで、揚子江(ようすこう)の水が清く流れて空々漠々たるように。


〔参考〕

日野俊朝は、鎌倉幕府を倒そうとした朝廷方の忠臣。政権を後醍醐天皇の朝廷に取り戻そうと企て発覚し、幕府に捕らえられ、元弘元年(1332)葛原ヶ岡で処刑される。明治時代に従三位を贈られ、明治20年(1887)に葛ヶ岡神社が建ち祭られています。


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