此所ハ道智塚或ハ阿古耶尼ノ塚ト傳ヘラレシモ、海蔵寺傳ニ據リ、藤原仲能ノ墓所ト考察セラル。仲能ハ従五位下前能州大守ニシテ鎌倉幕府評定衆タリシガ、後年、海蔵寺中興ノ大壇越トナリ、建長八年十二月九日寂シ、道智禪師ト稱ヘラレシモノノ如ク其位牌同寺ニ現存ス。
昭和十一年三月建 鎌倉町青年團
葛原ヶ岡神社は、俊基を祭神とする。その社の前に立つ碑がこれである。能州は能登の国。太守は長官。評定衆は、北條政権の時代に設置した役職。1225年、北條泰時が創設。合議制を採用したのである。北條氏以外、三善氏、大江氏などの有力者を加え、15人程度で編成。独裁制のなかの民主的な制度である。泰時が公正無私の政治を志したことのあらわれである。大壇越 壇越は今日の壇家の意。発音注意。
〔参考〕
海蔵寺の開基は上杉氏定であって、応永元年(1394)に建立された寺です。応永から永享年間にかけて役40年間ほどは、扇谷上杉家の後ろだてによって、かなり大きな規模をもつ寺として榮たらしい。