• 52 町屋阯 まちやあと


碑の説明

此邊(このあたり)往昔(おうせき)()ケル鎌倉繁榮當(かまくらはんえいとう)()()()ニシテ、(その)中央(ちゅうおう)(つう)()大町(おおまち)大路(おおじ)()ビ、(その)()米町(よねまち)辻町(つじまち)(いを)(まち)名越(なごえ)(とう)區分(くぶん)アリ。夫々(それぞれ)町屋(まちや)()リシ(ところ)トオボシク、其稱(そのしょう)屡々(しばしば)東鑑(あずまかがみ)」ニ()工、(いま)(その)()(ぞん)ス。

昭和十一年三月建  鎌倉町青年團



大町(おおまち)一隅(いちぐう)にある次の()には、それぞれいわれのある町名が刻まれています。最近の町名・地番の変更により、「(いま)其名(そのな)(ぞん)ス」という碑文(ひぶん)一節(いっせつ)は、むなしいものとなりました。地名も他の文化財と同様に、保存する必要があります。この()元八幡(もとはちまん)に行く道筋にあります。賈区(こく)商業地(しょうぎょうち)通衢(つうく)通路(つうろ)夫々(それぞれ)?々(しばしば)


〔参考〕

碑の立つところを大町四つ角と呼び、商店が並んでいます。この商店街は鎌倉時代には有数の繁栄をきわめたところ、大町大路と呼ばれる大道りの賑やかな町並が続いています。


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