• 54 亂 橋 みだればし


碑の説明

亂橋(みだればし)(みだれ)(ばし)(つく)リ、一石(いっこく)(ばし)()ナリ。(はし)南方(なんぽう)連理木(れんりのぼく)アリテ()(たか)シ。「東鑑(あずまかがみ)」ノ(ほう)()二年六月ノ(くだり)ニ、「十八日寅刻(とらのこく)(みだれ)(ばし)邊一許町(あたりいっちょうばかり)以南(いなん)雪降(ゆきふ)其邊(そのへん)(しも)(ごとし)シ」ナドアリ。辻町(つじまち)材木座(ざいもくざ)トヲ(さかい)スル細流(さいりゅう)()セル逆川(さかさがわ)(ばし)(とも)鎌倉(かまくら)(じゅ)(きょう)(いつ)ナリ。

昭和四年三月  鎌倉町青年團



連理木(れんりぼく)=二(ほん)の別々の木が(みき)や枝の所でつながって一つになった空想上の木。寅刻(とらのこく)=午前4時。寶治(ほうじ)元年=西暦(せいれき)1247年。1(ちょう)(やく)109メートル。


〔参考〕

鎌倉十橋の一つ。新田義貞が鎌倉に攻め入ったとき(1333)北條勢がこの橋あたりから崩れはじめたので、乱橋の名がついたとの説があります。


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