亂橋又濫橋ト作リ、一石橋ノ名ナリ。橋ノ南方ニ連理木アリテ名高シ。「東鑑」ノ寶治二年六月ノ條ニ、「十八日寅刻、濫橋ノ邊一許町以南、雪降リ其邊霜ノ如シ」ナドアリ。辻町ト材木座トヲ境スル細流ニ架セル逆川橋ト共ニ鎌倉十橋ノ一ナリ。
昭和四年三月 鎌倉町青年團
連理木=二本の別々の木が幹や枝の所でつながって一つになった空想上の木。寅刻=午前4時。寶治元年=西暦1247年。1町=約109メートル。
〔参考〕
鎌倉十橋の一つ。新田義貞が鎌倉に攻め入ったとき(1333)北條勢がこの橋あたりから崩れはじめたので、乱橋の名がついたとの説があります。