元享元年、相模守北條高時ノ創建セシ金剛山崇壽寺ハコノ地域ニ在リシナリ。道興准后ノ「廻國雑記」ニ記セシ紅谷ト、「田代系圖」ニ據リ千葉介ノ敷地トスル。別谷トハ、共ニ辨谷ニ同ジトスル説アルモ詳ナラズ。
昭和七年三月建 鎌倉町青年團
元享元年」1321年 「北条高時」(1303-33)第14代執権。1333年東勝寺にて自刃。准后(じゅんごう)正式には准三后という。親王・諸王・女御・外祖父母・名臣たちを優遇する称号。安徳帝の外祖父母の清盛夫妻は准三后です。「廻国雑記」応仁の乱(1467~1477)により、京都は焦土と化し、摂政以下公卿の多くは地方に遁れました。道興は北陸、関東、奥羽を遊歴しこの書を著わしました。 中世には多くの紀行文学が生まれました。「関東紀行」・「十六夜日記」など。紅谷 明治時代、この辺りは住宅地となり、夏には避暑や海水浴客に間借し(月極)をしました。夏目漱石はこの地に妻子を伴い、海水浴に興じました。その作品の「こころ」(1914年)には、この付近の海岸が舞台となっています。ー学生である「私」と「先生」との出会いの場面に、この海岸が設定されています。
〔参考〕
この碑が立っている地域に、北條高時が元亨元年(1321)に崇寿寺を創建した。臨済宗に属し、元弘三年に北條貞時の13回忌の供養が行われときは当寺から13人もの僧が参じていたという、寺はかなりの規模を持っていたと思われる。いつ廃寺したか不明。