• 60 塔 之 辻 とうのつじ


碑の説明

佐々目ケ谷(さざめがやつ)東南(とうなん)(あた)路傍(ろぼう)(にか)(しょ)(ふる)石塔(せきとう)()テリ。(つじ)(とう)アル(ゆえ)塔之辻(とうこのつじ)()フラン。(つた)(いう)(むかし)由井(ゆい)長者(ちょうじゃ)太郎(たろう)大夫(だいゆう)(とき)(ただ)愛児(あいじ)三歳(さんさい)(とき)(わし)(かく)ハレ追求スレトモ()ス。父母ノ悲痛()(ところ)()ラズ。散見(さんけん)セル(へん)(こつ)(かい)(にく)()ルカマゝニ()レヤ吾児(わがこ)(ほね)()レヤ吾児(わがこ)ノ肉カト思ヒツゝ所在(しょざい)(とう)()テゝ(これ)供養(くよう)(もっ)()菩提(ぼだい)(いの)レリ。(これ)(ゆえ)鎌倉諸處(かまくらもろところ)(とう)(つじ)()(ところ)アリ (この)(ところ)()(いつ)ナリト、(あるい)()フ。往時(おうじ)道標(どうひょう)ナラント、(いま)()(いず)レカ(しん)ナルヲ()ラス。

昭和四年三月  鎌倉町青年團



(とう)(ずし)佐々(ささ)()(やつ)は現在は笹目(ささめ)とかき、由比ガ浜商店街一帯(いったい)。 措ク処ヲ知ラズ(おくところをしらず)=意味はどうしてよいかわからない。所在(しょざい)(ほね)(にく)散乱(さんらん)していたところ。菩提(ぼだい)極東(きょくとう)浄土(じょうど)往生(おうじょう)すること。


〔参考〕

塔之辻は鎌倉中に七、八か所あったようで、路端にある古く大きな石の塔のある場所を塔の辻と言ったようです。小町の北堺に大蔵の辻があります。


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