• 66 宿谷光則屋敷跡 やどやみつのりやしきあと


碑の説明

宿谷左衛門尉(やどやさえもんのじょう)光則(みつのり)北條時頼(ほうじょうときより)近臣(きんしん)ナリ。文應(ぶんおう)元年(がんねん)七月十六日日蓮(にちれん)聖人(しょうにん)、「立正安國論(りっしょうあんこくろん)」ヲ時頼(ときもり)(たてまつ)ラント(ほっ)シ、光則(みつのり)長谷(はせ)(やしき)()縷々(るる)(その)趣旨(しゅし)()(これ)手交(しゅこう)ス。聖人(しょうにん)(たき)(くち)法難(ほうなん)(とき)最愛(さいあい)弟子(でし)(にち)(ろう)(とら)ヘラレタルハ、邸後(ていご)山腹(さんぷく)(つち)(ろう)ニシテ、億萬斯(おくまんし)年師考(ねんしこう)哀話(あいわ)(こく)ス。光則(みつのり)(ふか)聖人(しょうにん)(ふく)シ、(つい)(やしき)()セテ(てら)(はじ)ム。(じつ)()光則寺(こうそくじ)ナリ。()グル(ひと)()(えり)(ただ)シテ(とう)()追懐(ついかい)セヨヤ。

昭和十五年三月建  鎌倉市青年團



縷々(るる)=いとのように細長くつらなるさまを意味する文字で、くどくどとしているさまをいいます。熱心に説いたという意味。竜口法難(たきくちほうなん) (当時、(たき)(ぐち)は処刑場)。現在は竜口寺(たきくちでら)となっています。土牢(つちろう)(長谷の光則寺(こうそくじ)の山中にある。(公開中) 億万斯年(おくまんしねん)辞書にない語句だが「永久に」という意味です。師考(しこう)先生に対する敬愛。または師匠の弟子に対する愛情。本分は後者とします。日蓮(にちれん)上人(しょうにん)は弟子の日朗(にちろう)土牢(つちろう)に押し込められたのをたいへん気使い、これを激励しているからです。


〔参考〕

宿谷左衛門尉光則は北條時頼の近習というが、特に役職の記録はない。吾妻鏡に弘長三年(1263)北條時頼が危篤になったので、最明寺北邸に移して、心静かに臨終の時を得られるよう、宿谷左衛門尉等に仰せて、群集の見舞の人を止めさせたとあります。


<< 前のページへ次のページへ >>