• 67 星月井 ほしづくよのい


碑の説明

(ほし)月夜(づくよ)()(いつ)(ほし)()トモ()フ。鎌倉(かまくら)(じゅ)(せい)()(いつ)ナリ。(さか)(した)(ぞく)ス。往時(おうじ)(この)附近(ふきん)地老樹蓊(ちろうじゅおお)(うつ)トシテ晝尚暗(ひるなおくら)シ。(ゆえ)(しょう)シテ(ほし)(づき)(がやつ)()フ。後轉(のちてん)ジテ(ほし)月夜(づくよ)トナル、井名(せいめい)(けだ)(これ)(もとず)ク。()(ろう)()フ、古昔(こせき)(この)井中(せいちゅう)(ひる)(ぼし)(かげ)()ユ。(ゆえ)(この)()アリ。近傍(きんぼう)婢女(しじょ)(あやまっ)(さい)(とう)(おと)セシヨリ(この)(かた)星影(ほしかげ)()()エザルニ(いた)ルト。此説(このせつ)(もっと)里人(さとびと)()メニ(しん)ゼラルガ(ごと)シ。慶長(けいちょう)五年六月、徳川(とくがわ)家康(いえやす)京師(けいし)ヨリノ(かえ)()鎌倉(かまくら)(よぎ)(とく)(この)()()タルコトアリ。(もっ)(その)()()()(あら)ハルルヲ()ルベシ。水質(すいしつ)清冽(せいれつ)(もっと)(くち)()ナリ。

昭和二年三月建  鎌倉町青年團



昔、この井戸は昼も星影が宿ったという。あるとき、近くに住む婢女(しじょ)菜刀(さいとう)井中(せいちゅう)に落した後は、星影は二度と見られなくなったという民間伝承に魅かれて、徳川家康はわざわざこの井戸を訪れたと記されています。声を出して読み、漢文訓読体の快さを味わうのもたのしいものです。家康は『吾妻(あづま)(かがみ)』を愛読し、武家必読の書として、これを出版しました。そのさい、前述の三年分を破棄したという説があります。頼朝が落馬によって死んだとあっては、武家の棟梁(とうりょう)の死として相応(ふさわ)しくない、というのがその理由だそうですが…。


〔参考〕

極楽寺の坂を登る手前の道路脇にあり、のぞくと昼にもかかわらず星の影が見えたことからその名がついた。しかしある女が采切り包丁を落としてしまい、それ以来影が見えなくなってしまったと言われています。


<< 前のページへ次のページへ >>