星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ言フ。鎌倉十井ノ一ナリ。坂ノ下ニ属ス。往時此附近ノ地老樹蓊鬱トシテ晝尚暗シ。故ニ稱シテ星月谷ト曰フ。後轉ジテ星月夜トナル、井名蓋シ此二基ク。里老言フ、古昔此井中昼モ星ノ影見ユ。故ニ此名アリ。近傍ノ婢女誤テ菜刀ヲ落セシヨリ以來、星影復タ見エザルニ至ルト。此説最モ里人ノ為メニ信ゼラルガ如シ。慶長五年六月、徳川家康京師ヨリノ歸途、鎌倉ヲ過リ特ニ此井ヲ見タルコトアリ。以テ其名世ニ著ハルルヲ知ルベシ。水質清冽、最モロに可ナリ。
昭和二年三月建 鎌倉町青年團
昔、この井戸は昼も星影が宿ったという。あるとき、近くに住む婢女が菜刀を井中に落した後は、星影は二度と見られなくなったという民間伝承に魅かれて、徳川家康はわざわざこの井戸を訪れたと記されています。声を出して読み、漢文訓読体の快さを味わうのもたのしいものです。家康は『吾妻鏡』を愛読し、武家必読の書として、これを出版しました。そのさい、前述の三年分を破棄したという説があります。頼朝が落馬によって死んだとあっては、武家の棟梁の死として相応しくない、というのがその理由だそうですが…。
〔参考〕
極楽寺の坂を登る手前の道路脇にあり、のぞくと昼にもかかわらず星の影が見えたことからその名がついた。しかしある女が采切り包丁を落としてしまい、それ以来影が見えなくなってしまったと言われています。