今ヲ距ル五百八十四年ノ昔、元弘三年五月二十一日、新田義貞此ノ岬ヲ廻リテ鎌倉ニ進入セントシ、金装ノ刀ヲ海ニ投ジテ潮ヲ退ケンコトヲ海神ニ祷レリト言フハ此ノ處ナリ。
大正六年三月建之 鎌倉町青年會
碑は、稲村ケ崎公園入口近くにあります。前面は石垣と竹垣で囲われ、松の茂みの中、注意しないと通り過ぎてしまいます。石段を登ると、義貞が黄金作りの太刀を投じたと覚しき断崖に達します。元弘3年は1333年。「今ヲ距ル」670年余の往時を追想するのも一興でしよう。なお、断崖の一角にロベルト・コッホの記念碑があります。碑文は白文(漢文で訓点・送り仮名のないもの)とドイツ語で綴られています。
〔参考〕
切り立った岩盤が海へせりだす稲村ガ崎は、元弘三年(1333)に約6万の新田義貞が、鎌倉に攻め入った古戦場。義貞が海中に黄金の太刀を投げ入り、龍神に祈るとその夜のうちに潮がひき、龍神が敵地への道を示してくれ、新田軍の志気が大いに高まったという伝説があります。今は芝生を巡らせた公園になっています。園内には明治十三年(1910)に起こった、ボート遭難事故で亡くなった逗子開成中学校12名の霊を慰める「真白き冨士の嶺碑」があります。