• 72 稲村崎 いなむらがさき


碑の説明

(いま)(へだた)ル五百八十四年ノ(むかし)元弘(げんこう)三年五月二十一日、新田(にった)(よし)(さだ)()(みさき)(めぐ)リテ鎌倉(かまくら)進入(しんにゅう)セントシ、金装(きんそう)(かたな)(うみ)(とう)ジテ(うし)退(しりぞ)ケンコトヲ海神(かいじん)(いの)レリト()フハ()(ところ)ナリ。

大正六年三月建之  鎌倉町青年會



碑は、稲村ケ崎(いなむらがさき)公園入口近くにあります。前面は石垣と竹垣で囲われ、松の茂みの中、注意しないと通り過ぎてしまいます。石段を登ると、義貞(よしさだ)が黄金作りの太刀(たち)を投じたと覚しき断崖(だんがい)に達します。元弘(げんこう)3年は1333年。「今ヲ距ル」670年余の往時を追想するのも一興でしよう。なお、断崖の一角にロベルト・コッホの記念碑があります。碑文は白文(はくぶん)(漢文で訓点・送り仮名のないもの)とドイツ語で(つづ)られています。


〔参考〕

切り立った岩盤が海へせりだす稲村ガ崎は、元弘三年(1333)に約6万の新田義貞が、鎌倉に攻め入った古戦場。義貞が海中に黄金の太刀を投げ入り、龍神に祈るとその夜のうちに潮がひき、龍神が敵地への道を示してくれ、新田軍の志気が大いに高まったという伝説があります。今は芝生を巡らせた公園になっています。園内には明治十三年(1910)に起こった、ボート遭難事故で亡くなった逗子開成中学校12名の霊を慰める「真白き冨士の嶺碑」があります。


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