• 73 聖福寺阯 しょうふくじし


碑の説明

(しょう)福寺(ふくじ)(けん)(ちょう)六年(紀元(きげん)一九一四年)四月関東(かんとう)長久(ちょうきゅう)(ならび)北條時頼(ほうじょうときより)(そく)(とき)(すけ)幼名(ようみょう)(しょう)寿(じゅ)(まる)時宗(ときむね)幼名(ようみょう)福寿(ふくじゅ)(まる))ノ息災(そくさい)延命(えんめい)(ため)建立(こんりゅう)セシモノニシテ、()寺号(じごう)両息(りょうそく)名字(みょうじ)(いな)ミシモノト(つた)ヘラルルモ、廃寺(はいじ)年代詳(ねんだいつまびらか)ナラズ。(この)(たに)(しょう)(ふく)寺谷(じがやつ)()ブ。

昭和九年三月  鎌倉町青年團建



息災(そくさい)=災いが()むこと。建立(こんりゅう)=仏教語は呉音(ごおん)でよみます。桓武(かんむ)天皇は勅令(ちょくれい)を出して漢音の普及を図ったが、漢音使用以前にもたらされた呉音(ごおん)は、仏教界に根強くのこったのです。前記建立(こんりゅう)をけんりつとは()まないのです。


〔参考〕

吾妻鏡には、建長六年(1254)四月十八日、鎌倉若宮の別当隆弁が大勧進となってこの寺と鎮守諸神(11社)の神殿を上棟したとあります。


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