聖福寺ハ建長六年(紀元一九一四年)四月関東ノ長久並ニ北條時頼ノ息時輔(幼名聖寿丸)時宗(幼名福寿丸)ノ息災延命ノ爲建立セシモノニシテ、其ノ寺号ハ両息ノ名字ニ因ミシモノト伝ヘラルルモ、廃寺ノ年代詳ナラズ。此谷ヲ聖福寺谷ト呼ブ。
昭和九年三月 鎌倉町青年團建
息災=災いが息むこと。建立=仏教語は呉音でよみます。桓武天皇は勅令を出して漢音の普及を図ったが、漢音使用以前にもたらされた呉音は、仏教界に根強くのこったのです。前記建立をけんりつとは訓まないのです。
〔参考〕
吾妻鏡には、建長六年(1254)四月十八日、鎌倉若宮の別当隆弁が大勧進となってこの寺と鎮守諸神(11社)の神殿を上棟したとあります。