• 熊谷宿

熊谷宿は忍藩領で陣屋が置かれた。秩父街道の追分や荒川の舟運を控え大いに眼わったが飯盛は近隣助郷村の強い反対で置かれなかった。1843年の中山道宿村大概帳によれば、熊谷宿の宿内家数は1,075軒、うち本陣2、脇本陣1、旅籠19軒で宿内人口は3,263人、しかし宿並は1884年の大火、そして1945年8月14日の終戦前夜の大空襲で焼失してしまった。

左の茶屋で茶を飲む旅人、豪商が豪華な法泉寺駕菴から、権八地蔵の由来を供から聞いている。


熊谷提


久下神社示



久下権八地蔵


権八地蔵本体



東竹院


八丁一里塚碑



高木神社


新島一理塚



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