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深谷宿は深谷城の城F町として栄えたが、江戸期に入ると廃城となった、宿内には5と10の付く日に市が立ち、舟運の中瀬河岸を控え、商人町として発展し、江戸を出立した旅人の2日目の宿泊地にもあたり大いに服わった。1843年の中山道宿村大概帳によれば、深谷宿の宿内家数は524軒、うち本陣1、脇本陣4、旅籠80軒で宿内人口は1,928人。
この宿は、秩父への分岐点で、利根川筋に公認河岸があり、商業も盛んであった。人で賑わう宿場には飯盛女が多くいた。
東方一里塚
国済寺門
国済寺
見返りの松
稲荷町常夜灯
上杉憲英公墓
菊図坊祖英塚
深谷駅舎