本庄宿は利根川の舟運や交通の要衝を控え、二と七の日に市が立ち大いに賑わった、飯盛りが盛んで、助郷に出た若者が村に帰らなくなり、度々取締が願い出された。1843年の中山道宿村大慨帳によれば、本庄宿の宿内家数は1,212軒、うち本陣2、脇本陣2、旅籠70軒で宿内人口は4,554人で、この人口は中山道の宿村内では最大。
参勤交代の大名行列が橋を渡っていく。橋のたもとにある灯籠は、夜にあたりを照らす。背景の山は、左から妙義、榛名、赤城である。
精心寺
龍宮神社
源勝院
12基の墓碑
普済寺
島護産泰神社
百庚申
俸示堂の小堂