▲ 中山道トップへ
倉賀野宿は日光例幣使道の迫分や烏川と利根川の舟運上流の倉?野河岸を控えた、河岸は信州、上州の迥米や座物を江戸に送り、行徳の塩や干饂飩を持ち帰った「烏川が逆さまに流れない限り、お天道様と米の飯はついてまわる」といわれ大いに繁盛した。1843年の中山道宿村大概帳によれば倉賀野宿の宿内家数は297軒、うち本陣1、脇本陣2、旅瓶32軒で宿内人口は2,032人。
茶屋から旅の女が、子どもたちの遊びに見入っている。腕白たちは魚や亀を捕っている。茶屋の女房は釜の底をたわしで磨く。
脇本陣跡碑
高札場跡
倉賀野神社
庚申塔
鳥バミ池跡
安楽寺
安楽寺古墳
安楽寺庚申塔記
倉賀野一里塚跡
浅間山古墳