髙崎宿は三国街道、信州街道の分岐にあたり大いに賑わい「お江戸見たけりゃ高崎田町」とうたわれた。1843年の中山道宿村大概帳によると、高崎宿の宿内家数は837軒、旅龍15軒、宿内人口は32,235人で、城下町の堅苦しさから諸大名の宿泊は敬遠され本陣、脇本陣は無かった。
遠くに榛名山、正面は烏川で、右岸の土手は高崎城を囲む崖の一部で城はこの上に築かれている。夫婦連れの旅人に物乞いが施しをせびる。
諏訪神社
武甲山方面
高崎駅方面
高崎アリーナ方面
高崎観音方面
高崎城乾槽
高崎城説明版
高崎城址
長松寺
君が代橋