松井田宿には信州諸藩の年貢米が集積され、江戸廻米の中継地になっていた。廻米の約半分は松井田宿の宿米(米商人)に払い米(換金)され、残りの米は倉賀野河岸に運送され、舟運で江戸に迴送された。これら諸藩の迴米の取扱い高は多額であり、松井田宿は「米宿」とも呼ばれ大いに賑わった。1843年の中山道宿村大概帳によれば、 松井田宿の宿内家数は252軒、うち本陣2、脇本?2、旅籠14軒で宿内人口は1,009人(男547人、女462人)、宿長は6町6問(約666m)。
米を4俵もつけ、その上に自分まで乗り煙管をくわえている農民、馬に目一杯荷を積んで、自分でも荷を背負って街道を下る農夫がいる。