長久保宿は当初依田川沿いの下河原に設けられたが、1631年の大洪水で流失し、段丘上の現住地に移転した。宿の東に笠取峠、西に難所和田峠を控え、大門道、大内道、北国街道の要衝であり大いに賑わった。1843年の中山道宿村大概帳によれば、長久保宿の宿内家数は187軒、うち本陣1、脇本?1、旅籠43軒、宿内人口は721人(男341人、女380)であった、竪町に宿機能が集中し、?町には旅籠が軒を連ねていた。
旅人は依田川に架かる依田橋を渡っている。馬子と天秤で荷を運ぶ農夫が橋を渡る。子どもが2人、犬の取り合いをしている。