塩尻宿は伊那街道(三州街道)、五千石街道(糸魚川街道)、松本街道(善光寺西街道)の要衝で、東に塩尻峠を控え大いに賑わい旅籠数は中山道二番の多さであった。1843年中山道宿村大概帳によれば、塩尻宿の宿内家数は166軒、うち本?1、脇本陣1、旅籠75軒で宿内人口は794人(男411人、女383人)であった。1828年と1882年の二度の大火で宿並は焼失してしまった。
塩尻峠からの眺望。諏訪湖表面のひびは「御神渡」である。数年に1度、湖岸から湖岸まで数キロに渡り最高50センチの高さの氷の道ができる。人馬が歩いて渡った。