洗馬宿は1614年中山道が塩尻峠経路に付け替えられた際に、塩尻宿、本山宿とともに新設された宿、北国往環善光寺道の追分にあたり大いに賑わった、宿は度々大火に見舞われ1932年の大火で宿並は廃墟に帰してしまった、北陸の鮭や鰤を煮込んだ「洗馬煮Jが名物であった。1843年の中山道宿村大概帳によれば、洗馬宿の宿内家数は163軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠29軒で宿内人口は661人(男340人、女321人)、当初松本領であったが、1725年幕府直轄領となった。
洗馬宿の西を流れる奈良井川の夕景。小枝をいっぱい積んだ舟と筏が、川を下り、中天にかかる大きな月が水面を明るく照らしている。