本山宿は木曽路の玄関口として賑わい、松本藩の木曾口の固めとして口留番所が盥かれた、本山は「そば切り発祥の地」といわれ、狂歌師蜀山人(太田南敵)は「本山のそば名物と誰も知る、荷物をここにおろし大根」と詠っている。1843年の中山道宿村大概帳によれば、本山宿の宿内家数は117軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠34軒で宿内人口は592人(男297人、女295人)、宿長は5町20間(約581m)。
倒れかけた松の大木が街道を塞ごうとしている。その下で木樵が切り倒した大木に腰を下ろして、一服しながら焚き火で暖をとる。