上松宿は木曽五木の集散地で尾張藩はこの地に材木役所を設置し、「木一本首ひとつ」といわれるほど厳しい管理、取り締まりを行った。宿場江戸口の十王橋から上町、本町、仲町、下町で構成されていたが、宿並は明治以来の度重なる大火で焼失し、火災を免れた上町だけに江戸の面影を残している。1843年の中山道宿村大概帳によれば、上松宿の宿内家数は362軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠35軒で宿内人口は2,482人(男1,258人、女1,224人)。
2人の旅人が木曽八景の1つといわれる滝に見とれるが、地元の村人は小枝の束を天秤の両端に掛けて担いでいる。