• 須原宿

須原宿は1715年木曾川の氾濫で流失してしまった、1717年?段高い現在地に移転した、水に恵まれ宿内には丸太をくり抜いた水舟が随所に置かれ「水舟の里」とも呼ばれた。1866年の大火で宿並は焼失。桜の花漬やとろろ汁が名物であった。1843年の中山道宿村大概帳によれば、須原宿の宿内家数は104軒、うち本陣1、脇本?1、旅籠24軒で宿内人口は748人。

足を組む虚無僧、白装束の巡礼者、巡礼の男は矢立てから筆を取り出し、柱に何か書き付けている。馬上と徒歩の旅人が雨をついて行く。


民家の横を通る中山道


常夜灯



倉本一里塚跡


須原宿入口



幸田露伴文学碑


大和屋



高札場跡


本陣跡



子規歌碑番


常夜灯



水船


定勝寺本堂



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