三留野はこの地に木曽氏の館があり御殿と呼ばれたところを地名の由来としている。三留野宿は木曽路屈指の難所を控え、旅籠は多かったが「宿悪しく、わびしき所」といわれた。宿並は度々火災に見舞われ宿長は当初より25間も短くなった、1881年にも火災に遭ったが、国道から外れ古い家屋を残している。1843年の中山道宿村大概帳によれば、三留野宿の宿内家数は77軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠32軒で宿内人口は594人(男310人、女284人。
風にそよぐ麦の間で、農夫は煙管をくわえて草むしりをする。農夫の女房は昼飯を入れた飯台を頭に載せ、畦道を行く。