細久手宿は大湫宿から御嶽宿までは4里30町(約19km)と長く、その間には琵琶峙、物見峠が控え人馬共に難渋を極めた。そこで大湫宿より更に遅く1610年に細久手宿が新設された。宿並は1798年、1813年、1858年に大火に見舞われ、今の町並みは安政の大火以後のもの。1843年の中山道宿村大概帳によれば、細久手宿の宿内家数は65軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠24軒で宿内人口は256人(男134人、女122人)。
坂の両側に傾いた2本の松が、宿場の門代わり。宿場に向かう武士は、一文字笠に長合羽、担いだ長刀に竹筒を下げている。