愛知川宿は恵智川、越知川、愛智川とも書かれ、地名は宿の西外れに流れる愛知川に由来している。愛知川宿は中世東山道時代からの宿駅で、近江麻布の生産及び集散地として栄え、東海道土山宿への御代参街道を控え、大いに賑わった。1843年の中山道宿村大概帳によると愛知川宿の宿内家数は199軒、うち本陣1、脇本陣2、旅籠28軒、宿内人口は929九人で宿長は5町34間(約607m)。
当時、橋の維持費として通行料を取るところが多かったが、宿場の町人5人が中心になって架けられたこの橋は、通行料を無料にしたことから「無賃橋」と呼ばれた。