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草津宿は東海道との分岐点であり、琵琶湖舟運の矢橋湊へ至る矢橋街道との分岐点にあたり、交通の要衝の地として繁栄した。1712年には物資の動向を監視する貫目改所が設置された。1843年の東海道宿村大概帳によれば、草津宿の宿内家数は586軒、うち本陣2、脇本陣2、旅籠72軒で宿内人口は2,351人(男1,1725人、女1,179人)。
半肩脱いだ3人の女性は伊勢参りと思われる。近在の女が傘をすぼめて担ぎ板橋を渡り、小枝を集めてきた子どもが、彼女らを眺める。
芭蕉俳句
佛眼寺地蔵堂
追分道標
草津宿碑
高札場
中仙道と東海道
延命地蔵
本陣
行燈風街灯
脇本陣
田中九蔵本陣跡
街道交流館
太田酒造
草津宿街並み
野路一里塚跡
弁天池