• 中山道旅日記第10回

2018年5月27日から5月29日の3日間の旅


コース名:中山道六十九次自転車で京都 下諏訪から多治見 約150km

5月27日から6月1日にかけて6日間中山道を自転車で走破した。 今回は前回に劣らず沢山のことが起こった。初日からのスケジュールの変更、帰りのバスが満杯で取れず、帰りの目途が立たなくなる、落合宿から中津川宿に向かう途上で、急に自転車の両ブレーキ(前後共)が効かなくなる異常現象が発生、31日の夜に6月1日に帰るバスの予定が確定する。そのためには、17時までには多治見に着かなければならない、御嵩から電車を使うことを決定し、2本の電車を乗り継いでいくことにした。御嵩駅には30分前に到着したため、帰路を優先し、御嵩宿の散策は次回に持ちこしとなる。ただ、予定より1本前の電車に乗り、4時38分には多治見に到着し、バスの発着場所を探したが見つからず、発着場所を再確認したところ、多治見駅ではなく高速道路上であることが判明、ナビを使い、高速道路の近くになるユニクロを目指し、ユニクロの店員に聞いたところ、分かり難いから一緒に行ってあげると高速乗り場まで同行してくれた。客でもないのに大変たすかり、予定時刻の10分前に乗り場に着くことができた。すでに一人の女性が待っていて、17時38分発の新宿行きのバスですかと聞くと、そうですと言ってくれ、一安心した。これで今日中に家に帰れる。

今回の中山道巡りは、木曽路が主体であった。山に囲まれた場所で、山と木曽川と道であった。眼下に見下ろす木曽川はとても深い場所にあった。とても怖かったのは、右側は木曽川、左は崖っぷち、2車線の道路の右側に2メートル幅の遊歩道がある。当然、自転車は遊歩道を走ることになるが、車道は崖っぷち上にあるが、遊歩道は崖っぷちからはみ出ている箇所が多い、つまり、遊歩道の下は何もない、木曽川を覗き込むと80メートルの直下に木曽川が流れている。吸い込まれそうな感じでハッとする場所が続いた。しかも車の往来は激しいが、ほとんど人に会うことがない。まさに危険な一人旅であった。今でも思い出すとゾッとする。奈良井宿は昔にタイムスリップさせるとても閑静な街であった。午後三時頃には外人でにぎわう街並み、午前六時の人出の無いとても静かの街並み、両方とも大好きであった。また、そこら中に英語での説明があった。馬籠宿の峠で無料のお茶屋さんがあり、ご主人とひと話していると、英国のBBC放送の取材を受けたことがあると言っていた。それから外国の人たちがここに来るようになったと言っていた。その76歳の主人は次のプレーズだけで何とか応対しているとこのこと、とても楽しそうだった。
Where are you from?
Where are you coming from and where to go

Donation boxが置かれていたので、500円を入れてしまった。 いろいろとお話をしながら飲むお茶も、また格別であった。妻籠宿は最初から最後まで坂の連続で2メートルの道幅でその内1メートル半ほどの整備され道である。 ここで五平餅を食べたが、私の知っている五平餅はNHK連続テレビ小説の「半分、青い」でたびたび出てくる。だが、ここの五平餅は団子状であった。店主に聞いてみると、この辺では団子状のもので、もう一つはわらじ型と言っていた。まさに私が知っているのは、わらじ型のもであつた。五平餅は中部地方の山間部(長野県木曽、伊那地方、岐阜県東農・被弾地方、富山県南部などで食されているとか。旅館波奈屋で出された五平餅はわらじ型であった。私も好きになってしまった。

大井宿から次の大湫宿の間に十三峠があり、三里半(約14km)の道のりであったが、「十三峠におまけが七ツ」と言わるほどアップダウンが激しい難所であった。おまけに石畳で自転車の走行には不向きな場所である。木曽はどこでも水の流れる音があり、水を持参する必要がないが、ここは、水の流れる音はない。飲める水もない。

冒頭にも書いたが、今回の一番のハプニングは自転車のブレーキが前後共効かなくなってしまった。ブレーキレバーを押しても全然作動しない。落合宿から中津川宿に向かう途上であった。もちろん自転車さんなど見当たらない。中津川宿に入れば街並みがあるから自転車さんがあるはずだと信じ、それまでは自転車を押すことにした。

中津川宿に入り、お店がでてきたから自転車さんの場所を訪ねたが、知りませんとのこと。2件目で尋ねたら、あったような気がするが定かではない。途方にくれる。3件目でやっとわかり、親切にもそこまで案内してくれた。
自転車さんではなくスズキのバイク屋さんである。 自転車のブレーキの修理ができますかと聞いたところ、出来ますよ。との返事に、これで自転車の旅が続けられると一安心。前輪のブレーキ板がほとんど残っていませんね。これではブレーキは効きません。部品がありますか?と聞くと、ありますよと返事あり、奥から部品を持ってきた。後ろは少しだけ残っていますから調整でも可能ですがとの打診に、前後共変えてくださいとお願いした。修理代は両方で4,320円。これで私の自転車は蘇った。

この自転車は鹿児島で50km、前回の中山道で150kmと今回の150kmで都合350kmである。普段使う自転車は1,000km乗ってもブレーキを交換したことはない。平坦な道ばから走っているからだ。ここ中山道の道はとても険しい、和田峠から下諏訪までの2時間ブレーキのかけっぱなしである。今回も塩尻峠、鳥居峠、馬籠峠の下りは半端ではない。前後のブレーキを交互に使うが、車のようにエンジンブレーキがあるわけではない。これからは自転車のブレーキ板1セットを常備品に加える。今までの常備品はタイヤのチューブとポンプだけであった。

今回の工程で峠道はすべて制覇した。あと1回の工程で京都三条大橋に到達できそうだ。 出来るだけ早く完了させたい。最後は暑さとの戦いになる。今回の天候は晴れ2日、曇り2日で雨が2日であった。これでどんな天候でも大丈夫だが、台風だけは避けたい。



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