日付 | 曜 | 時間 | 内容 |
12月8日 | 月 | 14:00 | 会社勤務 |
14:30 | 出発 | ||
17:00 | 成田空港第二旅客ターミナル着 | ||
19:30 | 成田発 CIO18 チャイナエアライン | ||
12月8日 | 火 | 7:00 | ホノルル空港着 |
12月9日 | 水 | 10:00 | ナンバーカード&チャンピョンチップの受領 コンベンションセンター |
マイ・マラソンDVDの申込(ホノルル・マラソン決意表明の録画撮り) | |||
12月10日 | 木 | 右足のくるぶしあたりの痛みに治療のため安静に一日を過ごす | |
12月11日 | 金 | 右足のくるぶしあたりの痛みに治療のため安静に一日を過ごす | |
金 | 18:00 | カーボローディング | |
12月12日 | 土 | 9:00 | JALホノルル・マラソンセミナー |
ハワイコンベンションセンター(9:00-12:00) | |||
12月13日 | 日 | 3:00 | フルマラソン参加 集合場所はアラモアナ公園 |
5:00 | スタート | ||
13:30 | フィニッシュ | ||
12月14日 | 月 | 9:00 | 完走証の入手 カピオラニ公園にて受領 |
フィニシャーズ・タプロイドの入手 完走証テント内の入口付近 | |||
午前中:マクドナルド 来年の目標設定 午後:映画鑑賞&ショッピング | |||
12月15日 | 火 | 午前中:マクドナルド 来年の目標設定 午後:映画鑑賞&ショッピング | |
12月16日 | 水 | 午前中:マクドナルド 来年の目標設定 午後:映画鑑賞&ショッピング | |
12月17日 | 木 | 午前中:マクドナルド 来年の目標設定 午後:映画鑑賞&ショッピング | |
12月18日 | 金 | 6:00 | チェックアウト ホテルからホノルル空港 バス |
8:50 | CIO17 ホノルル発 | ||
12月19日 | 土 | 12:55 | CIO17 成田着 |
16:00 | 帰宅 |
とうとうホノルルマラソン参加のため日本を立つ。今日はとてもあわただしい日でした。何せ3日早い月次決算書の提出、営業の下期の成績表の提出および2010年度の目標設定のための店長に対するご案内と、盛りだくさんである。
何とか午後2時半までに片付け、昨日船橋支店を訪れた時に、USBメモリーを渡すれことに気付き、成田空港への途上といっても逆方向に行って東船橋の駅での改札で受け取ることにした。いつもの稲毛経由では時間に間に合わないことから、急きょ稲毛駅までの送迎を、東船橋に代えて、何とか2分前に到着した。
それから千葉に行ってもしょうがないことから、一旦船橋まで出て京成で成田空港に行くことにした。お陰で午後4時半には成田空港に着いてしまった。
チャイナエアラインのカウンタ待ちの列が既に20人くらい並んでいる。
私もそこに並ぶことした。待つこと約30分いよいよカウンターでの手続き開始である。チャイナエアーラインというから、カウンターには台湾の人がいるかと思ったが、日本人のスタッフであった。いつものように荷物を機内に持ち込めるかとの問いに、7kgまでしたらOKとのこと、重さを量ると12kgを超えている。当然預かりになりますとの問いに、わかりましたというほか手がない。
こうして20年振りに、私の荷物を預けることになった。渡米の時は、すべて機内に持ち込み預けたことはなかった。とても小さな預かり券を受け取りながら、とても小さいねと言ったら、なくす人が多いので気を付けてくださいとのこと。了解し出発口に向かった。ゲートでは、パソコンを取り出し、小銭と小物を取り出して入れ物に入れたら、ジャケットもお願いしますと言われ、ジャケットを脱いでかごに入れた。
難なく通過する。空港のショップで歯ブラシセットを購入したら、ジップケースに入れないと通してくれませんよと言われ、仕方なくジップケースも購入して入れてもらった。だが、ゲートのところではわざと出さすにナップザックの中に入れておいたら、問題なく通過してしまった。甘いチェックだな-と思いながらやれやれとの思いで通過する。まだまだ搭乗するまでにはたっぷりと時間がある。
ここはコーヒーを飲みながら、いつもの旅立ち日記でも書こうとパソコンを使用して、一人黙々とこの日記を書き連ねている。自慢ではないがタイプはかなり早い、文字が流れるように画面を埋めていく。
今回の渡航目的は、ホノルルマラソンに初参加し、完走を目指すものである。
時間的には6時間を予定している。練習では10kmは8回、15kmは2回、最長は20Kmを1回走っただけである。だから20km以上は未知との遭遇になる。
当人はいけるのではないかと思っているが、経験者である松岡氏によればフルマラソンはかなりのものであり、決して楽ではない、30kmを過ぎると地獄になるとのこと。足に豆はできるし、ふくらはぎは重たくなり、とても走れない状態になるとのこと。まさに恐ろしい限りである。ただ20kmを走った限りではそんなことは経験できなかった。何となく走ってしまった感じがする。
それは走った後、自転車で会社まで行き、1日仕事ができたことが自信につながっているのであるが、それでも通用するのかどうかはやってみないと何とも言えない。ただただ、膝が悲鳴を上げることなく最後まで持ってくれること祈るばかりである。何せ私は神の子であるからである。いざとなると神が私にとって代って走ってくれると信じているからである。この頃 いざとういうときには私の力でなく、神によって助けられたと言っても過言でないことを経験しているからである。思い越せば昨年の12月18日にレジェンドホテル創設者の鶴岡秀子さんの講話を聴いている時に「ホノルルマラソンを走ろう」と決意し、年賀状にその決意のほどをしたため、3月には毎月発行している幸福街道なる月刊誌にも決意表明をし、4月に走るための道具であるアップルのipodを購入し、8月末にはホノルルに行き、自転車でマラソンのフルコースを制覇すると同時に1マイル毎の写真も撮り、9月にナイキの最上位のAirMaxを購入し、9月半ばからマラソンの練習を開始し、10月半ばには20kmを走破し、その急激な練習で膝が少し痛み、その後1ヶ月間は筋肉トレーニングに励み、 11月半ばから、再度、マラソンの練習を再開し、日本での練習を閉じ、日本を旅立って再度ホノルルに足を運び、本番を迎えることになった。
十分な練習とは言えないが、中学、高校時代にはあんなにマラソンがいやだったことから、想像できないが、走ることに楽しみを覚えるようになったことが、今回の最大の収穫であったような気がする。ここまでくれば 足が壊れようが、完走を何としてでも勝ち取りたい。それが1年前に決意した証になるからである。やるからには成功しなければ何にもならないからである。
現地時間で朝7時にホノルル空港に到着し、税関での出来事である。渡航目的は何ですかとの問いに、ホノルルマラソンに初参加するためですと答えたら、是非とも頑張って完走を目指してくださいとの激励を受けたことにいたく感激してしまった。その後、バスでホテルに向かう。2回目ということもあり、迷うことなくホテルに到着した。部屋でくつろいでいたら突然携帯電が鳴り出した。ここはハワイなのにと携帯電話を取って、Hallowと言ったら、とても懐かしい先輩の声がした。そろそろホノルルマラソンにいく頃だと思って電話したんだ。Hallowと言うからには、もう行ってるんですね。との声に、今朝到着しました。体に気をつけて是非とも完走を目指して頑張ってください。「この先輩は私の良いところ、悪いところ全てにわたって知っている人でもある。この人は工学部と経済学部の両方を納めた人であり、両面に通じている人でもある。私は、がちがちの工学部の出身であり、経済の世界に疎い面もあった。何時かはこの先輩のように経済の世界においても追いつけたらいいなと思っていました。私が会社を経営(15年間)していたこと、毎年1回決算書を持参し、監査役としての印を押してもらうのが日課(正しくは年課)になっていた。決算書を提示すると、上野さんの会社はこうこうこうですねと言う。最初のころは、何でわかるのですかとの問いに、決算書に全て書いてあることを、そのまま言っただけですとの答えであった。」そんな先輩である。
帰国したら逢いましょう。吉報を待っていますと言われ、頑張りがんばりますと言って電話を切った。
こちらに来ても、食事は大して変わらない、朝は、ご飯と納豆に生卵、昼食は相変わらず、野菜のサラダ、夜は、鮫子だったり、野菜の煮つけとか日本食ばかりです。マラソンの2日前には、すぐそばにあるRedLobstar、で私の大好きなロブスターと、米国に来たら欠かさず食べるクラムチヤウダ-、クラムチヤウダー-なら何杯でも食べられる。特にクッキーを右手で握りつぶしてクラムチャウダーの上に載せてスプーンでかき混ぜて食べる。日本でもサービスされているが、貝が違う。日本ではアサリであるが、こちらではボストン沖で取れるクラムが入っていて、あさりは甘いが、クラムは甘くはなく、歯ごたえもとてもいい、このクラムだけでのメニューもあるくらいである。お湯であらい、バター湯につけて食べるがとても美味である。これはボストンだけでしか食べられないようだ。
本日はDVDを探しにダウンタウンに行くことにした。前回は2日間と短期であったため、そこまでの活動は差し控えた。今度は10日あるから探す時間は十分にある。まず今までのことを思いだすと、不思議にDVDを売っているところを誰に聞くとことなく探し当ててきた。ロスでも、サンフランシスコでも、ボストンでも、そしてダラスでもそうであった。今回もそれを頼りに探すことにする。今までと違うのは、車がないことだけが異なる。それじゃ歩いて探さなければならない。その為にはピンポイントで探さなければならない。そこで浮かんできたのが、ダウンタウンである。それも韓国人街とか、中国人街とかである。このホノルルにもダウンタウンに行けば必ず、そのようなところがあるはずである。間違ってもワイキキでは見つからないだろう。ダウンタウンまでは、ホテルから約7kmはある。ひとまずダウンタウンを目指して歩くことにする。
ダウンタウンにやってきた。ここにはハワイ大学があった.歩いているうち韓国人街が見つかった。映画館も見つかった。だがその手の映画館ではない。探すこと約1時間、それらしきところは、残念ながら皆無である。今日はあきらめて帰ることにした。足はかなり疲れてきていた。何か飲み物がほしいが、こちらでは自動販売機は見当たらない。日本だったら容易に手に入るのに、コンビニも見当たらない。帰りの途中コンベンションセンターによって、ホノルルマラソンに参加するためのゼッケン番号と計測用のチヤンピョンチップを受け取りに行き、これも事前にどうすればいいのかホームページを通して知っていたからである。マイビデオを取ってもらえるよう手配も済ませた。$61.5もした。パワージェルも入手できた。3個で$3は安い。 ホテルに戻り、さすが疲れたせいか少し眠ってしまった。2時間後に目が覚めて、テレビをつけたダイハードが放映されている。こちらでは、映画が連続して放映されているチャネルがあるから映画は容易にみることができる。内容は熟知していることから、英語であっても何ら問題はない。ダイハードを見終わると時間は10時を廻っていた。だが、今日の目的はまだ果たされていない。前回借りたレンタサイクルのおにいちやんに聞いてみる手はある。だが恥ずかしい面もある。その時ふと電話帳だと思い描いた。さっそく電話帳を手に取る。あるじゃないかこんなにお店が、その中でできるだけ近くのお店を探す。あった。さっそく住所からネットで場所を特定する。場所はわかった。 以外に近いところにあった。
時は11時である。さっそく電話する。その時は明日に行こうと思って、開店時間を尋ねると。夜5時とのこと。念のために閉店時間も尋ねると、午前3時とのこと。じゃ-今からでも十分に間にあう。
さっそく支度してお店に向かう。 思い描いた通りである。それがこんなに近くにあったとはつゆ知らず。さっそく中に入ってみる。あるある。所狭しと置いてあった。安いものは目もくれず、高いものを探す。これは鉄則であるが、お金と内容は間違いなく一致するところが経験からわかっている。しかもNEWリリースを探すも一枚$39である。2枚だと69ドルである。夜も遅いこともあり、手持ちの資金は60ドルしかない。いいものを2枚選んでカウンターに持ち込み、値段の交渉に入る。全然応じてくれそうな気配はない。日本と違うので思うように言葉が出てこない。仕方なく1枚を税込みで$41.90を支払ゲットして帰宅する。 何故米国版を探すのかと言われると、内容が素敵であり、撮り方も洗練されている。私は米国以外には行っていないから他国のことは残念ながら分からない。
コンベンションセンターでゼッケンおよびチャンピオンチップの受領を済ませた後にマイ・マラソンDVDの申込を行った。今回は初めてのできごとだから記念にDVDに録画して貰おうと決めていた。DVDのブースに行き、名前とゼッケン番号を言うと、早速ビデを撮りをすると促され、長身でスタイル抜群の素敵な女性の人からマイクを渡され、いきなり本番である。決意表明を淡々と述べていく。終了すると、両手でガッツポーズされ、「Very nice prsentation」と言ってくれた。Last Part is not good l think」と言ったが、「No problem」との返事。「Thanks」と言ってその場を去る。表に出てホテルに帰ろうとすると、今度は男性から声がかけられた。JALホノルルマラソンのネット版で放映するとのこと、簡単なインタビューに答えてくださいとの問いに。OKと返事をしてしまい。2度目のカメラの前に立つことになった。ほんの1分くらいかなと思う。最後に頑張ってくくださいとの激励あり。ここでも完走しますと言ってしまった。
■ ホノルルマラソン参加の決意表明
私の人生で初めてのマラソンをこのホノルルマラソンに挑戦します。
この挑戦を亡き妻の美智子に捧げると同時に私の二人の息子である。智和と裕和に捧げます。また、残された日々を有効に悔いのない人生を送るためにも私自身にも捧げます。応援してくれている友達、会社の仲間、すべての人に感謝します。ありがとうごいます。必ず完走します。
私の人生で初めてのマラソンをこのホノルルマラソンに挑戦します。
この挑戦を亡き妻の美智子に捧げると同時に私の二人の息子である。
智和と裕和に捧げます。また、残された日々を有効に悔いのない人生を送るためにも私自身にも捧げます。応援してくれている友達、会社の仲間、すべての人に感謝します。ありがとうごいます。必ず完走します。
今日は水曜日ホノルルマラソンで使用するゼッケンとマラソンの時間計測に使用するチャンピョンチップをコンベンションセンターで配布するとのことで、取得に行ったとき、途上で足右足首当たりに痛みが出てしまい、まともに歩けなくなってしまった。その時今度の日曜日の本番で走れないかもと頭をよぎった。せっかくここまでやってきたのだから、最悪の状態は何としてでも回避したい。ゼッケンとチャンピョンチップを受領した後、このあとドンキホーテで食料の仕入れをするのを急遽取りやめにし、このままホテルに戻ることにした。こうなったら一刻も早く直さなければ、日曜日の本番時に不足の事態を招くことになる。ホテルに戻り、日本から持参したトクホンを張り、絶対安静しか手がない。昨日、ダウンタウンまで往復15キロ歩いていったのがのがたたったみたいである。ダウンタウンに着いたあたりから、左足に異変が発生し、それをカバーするのに、今度は右足に負担がかかったに違いない。こうなったら一刻も早く直さなければ、日曜日の本番時に不足の事態を招くことになる。心を落ち着かせつ為にも、日本から持参したDVD「最後の初恋」を見ることにした。とても切ない映画である。見ながら涙が自然と流れて止まらなくなってしまう。こういうことは人生のうちでめったに起きることではないかもしれない。私にもこれに似たことが訪れたことが1度ある。このときばかりは、会話に困ることがなかった。不思議なものである。仕事のことならば何時間でも話すことができる私だが、こと他人、まして相手が女性となると、からっきり話すのが苦手な私である。今の私からは到底想像できないかもしれない。
木曜日の朝になっても足の痛みは取れない、歩くと痛い、これじゃマラソンの最終練習などとてもできない。本来なら、アラモアナ公園に言って最終調整のためのジョギンクをすることになっていたが、残念ながら中止し、今日も一日中ホテルに軟禁である。
金曜日の朝になっても、歩くと右足のくるぶし当たりに痛みがでる。とても走れる状態ではない。できる処置はこのままホテル内で静かに過ごすことぐらいしかできない。幸いホテル内だとトクホンを張っていてもその匂いを気にすることがない。
本日、金曜日はカーボローデイングの日でエネルギーの補給をする日でもある。
カーボローデイングとは、マラソンを走る際の主なエネルギー源であるグリコーゲンの素となる炭水化物を、レース前、体内になるべく多く蓄積させるための食事法である。最近では1週間前はトレーニング量を減らすだけで通常の食事をとり、3日くらい前から食事の内容を炭水化物中心にするという方法をとることが多くなっているとのこと。
私にとっては、カーボローディングと言うよりも、私の大好きなメニューでいくことにする。今日のメニューはクラムチヤウダーにシュリンプカクテル、ボイルされたロブスターである。シュリンプカクテルがメニューになかったため、あるかどうかウエイターに聞いたところ、あるとのこと、それじゃお願いしますと頼んだ。 私の知っているシュリンプカクテルは、カクテルグラスにシュリンプがグラスの周りに引っ掛けてある。当然これを想像していたら、何と大きなお皿にシュリンプがそのまま寝せられていた。ただシュリンプの数が倍近くある。レモンをしぼりながら、十分にフレッシュなシュリンプを堪能することができた。次にクラムチヤウダーである。クラムチヤウダーは通常2種類である。ひとつはカップでもう一つはボールである。もちろん注文はボールである。これでも足りないくらいだ。さっそくお皿の淵に添えてあるクラッカーを掌に握りつぶしたものをクラムチヤウダーの上に注ぎ込む、スプーンでかき混ぜる。口に運ぶ、歯ごたえのあるクラムと小さく角切りにされたジャガイモとの絶品のコラボレーション、また、握りつぶしたクラッカーのザラットした感触もなんとも言えない。やはりこちらでしか堪能:出来ない味である。そしてボイルされたロブスターを食べる。幸せな気分にしたたりながらの食事である。欲を言えば一人で食べるのではなく相手がいればもっと幸せな気分にしたたれると思いながらも、一人でもくもくとたべる。最後にデザートを平らげ、余韻を残しながらの退場である。とても美味しかったことからチップもはずむことにした。美味しかったことを言葉で表現するのも大事であるが、このチップの制度は、自分の意思表示を現わせることでとっても気に入っている。味もさることながら、楽しく食事ができたかどうかも大きな要素である。楽しめた時は当然ながらチップははずむが、逆に不愉快に感じた時は1セントを置くこともある。まだ3回くらいしか置いたことがないが、もちろんそうしたお店には2度といかない。これが私のストレス解消方でもある。でも基本姿勢としては、出来る限りチップをはずむことが私のポリシーである。
日本人ランナーのための教会公認セミナー 2009.12.12
会 場:Hawaii Convention Center / 313号室 3F
時間 | 内容 |
8:30 am | 会場 |
9:00 am | 開演 |
9:02 am | ホノルルマラソン協会代表スピーチ 「アロハスピリッツ」 ホノルルマラソン協会 財務・事務局長 ジャネット M.Lチャン |
9:20 am | ゲストスピーチ フォークシンガー高石ともや(ホノルルマラソン参加33回) |
9:35 am | コース紹介ビデオ上映 |
9:45 am | スペシャルゲスト 長谷川理恵 |
9:50 am | ゲスト講演 「ホノルルマラソン完走の秘訣」 スポーツドクター 野田 晴彦 |
10:40 am | 質疑応答 |
10:50 am | 休 憩 |
11:05 am | マラソン・クリニック Supported by NIKE 浅井えり子・MIDORI・安田美沙子 |
11:55 am | 抽選会当選番号発表 |
12:00 pm | 終了 |
今回のセミナーは本当に助かりました。セミナー終了後、スポーツドクターに私の足のことを相談することができ、その対策も事前に用意できたことが、結果的に痛みが再発することなく、完走することができました。
この「アロハスピリツ」なる文書はJALホノルルマラソンセミナーにてホノルルマラソン協会 財務・事務局長 ジャネット M、L・チャンが語った内容である。
「アロハスピリット(精神)」というものがホノルルマラソンを他のマラソンとは違ったものにしています。ホノルルマラソンはただのロードレース以上のものです。それは、心をこめた時間を“与えられた”というフィーリングです。
その時間は大会を運営する側からだけのものではなく、ホノルルマラソン実現のために大勢のボランティア達が陰で費やす時間を含みます。それは誰もが参加できる世界一流のイベントを行う誇りのようなものです。
私達イベントのために世界中から人々が集まるのを見るのは心暖まるもので、また多くの人達が同じ言葉を話さないながらもコミュニケーションがとれるのも、私達が自分の家族に接するのと同じような好意で皆様に接していることを、皆様がご存知だからだと思います。このアロハスピリットを言葉で表すのはとても難しいのです。本当にご理解いただくために是非ホノルルマラソンにご参加頂きたいと思います。
ホノルルマラソンは、ホノルルマラソン協会によって、組織、管理されています。
この協会は全員がボランティアの非営利団体で、協会のメンバーは、長距離マラソンが健康に良いと固く信じています。私達は、ホノルルマラソンを今日のように皆様に尊敬され、組織化された運営を行うトップレベルのイベントに育ててきました。そして、誰もが参加できるホノルルマラソンは今、世界中のランナーに高く評価されているのです。それぞれ別の仕事を持っている人達が、協会のメンバーとして集まっています。
ホノルルマラソンという大規模で質の高いレースを開催するには1年がかりの準備が必要で、レースの翌日には協会の役員達は、ハワイ以外の主要スポンサーの代表との打ち合わせを始めます。その後、何週間も何ヶ月間もかけて、その他のスポンサーやスポンサーになってくれそうな関係者とミーティングを行います。
ホノルルマラソン協会のメンバーは、それぞれの分野において責任を持っています。月1回のミーティングが1月から10月まで行われ、11月には、週1回のミーティングが行われます。これらのミーティングは、各メンバーが管理・担当している特定の分野で行っているミーティングとは別のものです。
このように何百時間もが、わずか1日の大会を企画することに費やされています。
私の夫ロナルドは元電子工学エンジニアで、協会の副会長であり、企画、設計、運営を担当しています。私は協会の財務・事務局長、そして日本のスポンサーとホノルルマラソン協会の間で仲介役を努めています。長年やっているので私はほとんどの部門に関係し、レースや事務所に必要な物の注文や、エイドステーション用の80,000個のスポンジや30,000個のりんご、そして公園用の赤いナイロン・フェンス、フイニッシュ・ラインのテープ等の特別注文も行っています。夫から、22年前に誕生日のプレゼントとしてもらったマツキントッシュにより、私の生活は全く変わりました。
協会での私の責任はとても重くなってきていますが、コンピューターを持ったことで、何もかもが大変楽になりました。というのも私は古いタイプの電子タイプライターを修正テープ無しで使っていたのですから。付け加えるまでもないでしょうが、タイプミスを修正するために何本もの修正液を使っていたのです。もはや必要ありません。
過去32年間、私の夫のロナルドは協会のメンバーとして働いています。
私達の家は、青写真、企画害、そしてファイルと箱に収められた書類の山があり、協会事務所の延長のようです。私達の3人の子供達は、小・中学生の頃よりホノルルマラソンをお手伝いしています。その子供達も今は独立していますが、毎年12月には帰省し、協力しています。どうして私達と他のメンバーは何年もの間、このようにしてホノルルマラソンのお世話をし続けているのでしょうか。協会のメンバーであるということは、かなりの時間をボランティア・グループ、スポンサー、協力会社の方々、マスコミとの詳細な計画の打ち合わせや調整に費やし、さらに何百もの電話や手紙、メモを書くことに使うということです。
どうして続けているのでしょうか。それは、メンバー同士の緋や友‘情が満足感や楽しみを与え、そしてひとつ地域社会における活動を世界規模のイベントにまで成長させたこと、世界中から多数のランナーが集まり、そのひとりひとりにフイニッシュラインを超えた時の充実感を与えているという誇りだと思います。
メンバーの仕事が組み合わされて初めて、本当の意味のアロハという質の高いマラソンとなるわけです。毎年ホノルルマラソンで完走する人の57%が初めてのマラソンです。しかも一番若い完走者とお年寄りの完走者の年齢差は70歳以上もあります。ホノルルマラソンには、世界のスーパーマラソンランナーからジョギングクラスの人まで参加しています。
地元の人達は世界的に知られるこのイベントに参加する機会を得て、ホノルル市は国内、ホノルルマラソンには毎年多くの人が集まります。ランナーは質の高いレースを楽しみ、そして国際的にも広く認知されることになるのです。
ホノルルマラソンは、観光シーズンではないこの時期に、1億1,300万ドルという経済効果をこの島にもたらします。1976年には、日本からの参加者は1名でしたが、2008年には14,407名なりました。マラソン参加者の多くは、家族か友人と一緒に2名以上のグループでホノルルを訪れています。
日本のランナーの60%は、ホノルルを初マラソンの地として選んでいます。
彼らはホルルマラソンをマラソンへの洗礼の場とするわけです。というのも、“バンブーパイプライン”を通してホノルルマラソンが本質的に“人々のレース”であり、私達がそれぞれのランナーを大切にお世話していると聞いているからだと思います。
島の気候と美しさ、そしてゴールからワイキキのホテル街まですぐ近くという利便性も重要な要素です。20,000名近くの日本人がレースに参加し、さらにこれらのランナーを応援する10,000名以上の日本の方たちが、それぞれの仲間がフイニッシュするのをゴールラインで待っているのです。
ホノルルマラソンでは、何百人もの地元の人々が無償で多くの時間、物品、それしてサービスを提供してくれています。ハワイ駐留米軍からは常に多くの支援を受けています。彼らはこれまで何年にもわたり、フィニッシュラインの写真を撮るための大きな橋を作ってくれています。空軍、海軍、海軍設営隊、海兵隊は公園内の施設の設備から解体まで行っています。アイセン指圧スクールからは、疲労困ぱいした完走者のために資格を持った数百名の指圧師が指圧のサービスをしてくれます。ムフィ・ハンネマン市長をはじめ、ホノルル市も全面的に支援してくれています。また、市の公園レクリエーション課では、一年中、初心者ランナーのためのクリニックを開いています。
そして州の交通課、市の道路使用許可局、ホノルル警察、ホノルルマラソンのオフイシャルホテルであるアウトリガーホテル、そしてその他大勢の方々がホノルルマラソンを支援してくれています。
ホノルルマラソンのスポンサーである日本航空、NIKE、MUFGカード、NTTドコモ、サトウハップ、SUBARUに対しては、最大限の心からの感謝の気持ちを申し上げたいと思います。皆様からの多大なご支援がなければこのホノルルマラソンは今日のように世界的規模の一流マラソンにはなっていなかったことでしょう。
また、その他、ホノルルマラソンを本当の意味での地域に根ざした大会に作り上げてくれた多くの企業、グループ、個人の皆様に感謝いたします。
この義勇軍(ボランティア・アーミー)とも言える皆様の全面的支援、献身、そして協力がホノルルマラソンを真の「人々のマラソン」にしているのです。
これは、誰もが参加できるイベントであるだけでなく、皆様の寛大なるご協力の上に成り立つ大会であるからです。そういった意味で、ホノルルマラソンはアロハ精神のすばらしい例だといえるでしょう。皆様のご参加を心より感謝いたします。がんばって走ってください。
A1oha!
スタート時正面に上がった花火
これだけ多くの人が参加している
途上5km付近
途上10km付近
途上15km付近
途上20km付近
途上30km付近
ゴール時
ゴール時拡大
ゼッケン
完走証
完走メダル 表
完走メダル 裏
完走Tシャツ
ホノルルマラソン新聞&DVD
ホノルルマラソンの翌日に発行
ホノルルマラソンDVD
翌年2月4日にハワイより直送されてきた