• 第7章 結果の報告


1.2010年年賀状での報告



2.完走記 ホノルルマラソンに挑戦し完走


 朝2時、目が覚める。それから早めの朝食をとり、シャワーを浴びて、走るための身支度をする。3時半には部屋を出て、スタート地点に足を運ぶ、すでに会場に向かう人たちがあちらこちらに見受けられた。総勢2万人を超えたランナーが集まるはずだ。スタート地点に着き、体をほぐしながらスタートを待つ。スタート直前に、花火が前方に上がる。これからの偉業を祝福してのものと受け止めた。なんら変哲のない花火ではあったが、まさに値千金のような感すらあり、待ちに待った瞬間でもある。



体の方は何とかいけそうな感じがしている。思えば、ホノルルに到着した次の日(水曜日)にダウンタウンへ徒歩で約15kmの道のり行った時に 右足のくるぶしのあたりに痛みを生じ、翌朝は、まとともに歩けない。これは一大事、 何としてでも痛みを取り除かなければと必死の思いで回復を目指した。金曜日の朝を 迎えても痛みは消えることはなかった。最悪の場合には走れないかもという思いが頭 をよぎった。
それが何としたことか、土曜日の朝には痛みはすっかり消えていた。
まさにミラクルである。これなら走れると思い、日本で申し込んでおいたJALホノル ルマラソンのセミナー(9時から12時までコンベンションセンター)に参加した。
本日はドクターも来ていて、走る上での注意すべきことについて教えて頂いた。
休憩 時間にドクターのところに行き、私の足の状況を説明して、走れるものかどうか聞いてみた。また、痛みが発生したらどう対処したらいいのか聞き、薬も手に入れること ができた。今回の目的は完走することだと話していたが、やる以上は、目標タイムを クリアすることをひそかに思い続けていた。
6時間である。だがこの時に、この足の 状況ではいつストライキを起すかわからない。当初の目的である完走することに全 力を上げることが、今の私のすべきことと心に決めた。
 スタート後はランナーで混雑そのもの、なかなかスムーズに走ることができない、 そうこうしているうちにダウンタウンを難なくクリアし、スタート地点に戻り、そこ からはダイヤモンドヘッドを目指してひたすら走り続けた。
ダイアモンドヘッドに到着した時が、正に真っ赤な陽が昇るところであった。
走りながらの僅か十秒足らずの間だったが、心に残る情景であった。


このあたりで、右ひざに巻いたサポータがずれ少し痛かったため、止まって修正をしたら、良好になった。それからハイウェイにのる。
単調な道で往生した。このあたりに来ると8割近くの人はすでに歩き始めている。
松岡氏からも前半は無理を決してするなと忠告されていた。疲れてから歩くより、まだ疲れていない時に歩いたほうが良いとも言われていたことから、私もここらで少し歩くことにした。どうせ歩くなら早足で歩くことにした。
中間点に到着した時には、すでに3時間半を経過していた。
私の練習でのタイム2時間30分から1時間遅い、ここまで来る途上で左ひざに違和感を感じたが、それも消えている。ここからが私にとって未知な世界である。
20km以上は走ったことがないからである。


 ここまで来ると9割の人は歩いている。私も歩く時間の方が多くなってきた。長い、長いハイウェイでの走りも何とか終了し、閑散なところをしばらく走る。ここまで来ると水が欠かせない。水飲み場を目指しながらの走り(歩き)になる。追い打ちをかけるように、太陽は私達をこれでもか、これでもかと照らし続けている。帽子も前後ろを逆にして少しでも首筋に当たるのを防ぐ手立てをしながらの走りである。



このときに道端から声援が飛ぶ、私の前を走っている人は、明らかに私よりも年配であった。声援はお父さんがんばってあった。私の時はお兄さん頑張ってと言われた。あたりを見回したが、男性は前の人と私の二人だけであった。
気分を良くしならの走りである。今回はセミナー会場でナイキの素敵な帽子を購入していた。もちろん強い太陽からの身を守るためである。決して頭の髪の毛を隠すためではない。特に大きな声での声援が、がんばる意欲をかきたてた。
今度応援するときはできる限りの声を張り上げようと心に誓いながら走り続けた。


高級住宅地に入ったところで奥さん とその子供たちが持参したお手製のチョコレートケーキをいただいた。まさに感激である。こんな情景があちらこちらであった。とてもアットフオームな大会であり、疲れが吹き飛んだことも何度もあった。それにしてもこの42kmとはとても長い。おそらくこれ以上の距離を走るものはこれからも出てこないであろう。何せ人間の限界である。
半端な距離でないことを実感させられた。こんなことを思いながらあと3マイルとの声がかかった。あと4.8kmである。
ここまで来ると走ろうなんて気は起きない。もちろん周りの人もおそらく95%の人が思っていることである。それが証拠に走っている人はほんのたまにしか見当たらない。


 マラソンしに来たのに歩いているなんて、マラソンを侮辱していると思いつつも。足は勝手に歩いているのである。やっとダイヤモンドヘッドの昇り口にたどりついた。これを上り下ればあと1マイルである。
ダイアモンドヘッドを目指しながら、横目で海を見ると、何とたくさんのサーファーがいることかと思いながら、頂上を目指し、そのまま通り過ぎた。早朝の日の出の絶景だけで充分であった。
さすがにここまで来ると、走る人、すべての人、私も含めて、満身創疾である。特に足にダメージを受けていない人は皆無のようである。
それが走る姿に出てきている。私は自分ではまだまだ正常だと思いつつも他の人が見たらおそらく正常な形ではないというに違いない。おそらくここで絶対にギブアップするなど考えている人は一人もいない。
みんな完走を目指して、手綱を締めつつも緩める人はいない。ここまでくると声援が何よりのはげみになる。ひとりで走っていても決してひとりで走っているのではないとつくづく思い知らされた。あと1kmとの声がかかる。


ゴール目指して


いよいよゴールである。いっそう足に力が入る。カピオラニ公園内に入ると声援が一層大きくなる。ゴールがじわじわと迫ってくる。これで一年前に決意した夢が実現すると思うと感無量である。ゴールで首飾りをいただく。
どうせなら女性からもらいたいと入るべきゴールを無意識のうちに選択している。


「コングラチュレーション」と言われながら、首飾りを首にかけてもらう。「サンクス」と言って通り過ぎる。


 完走できたと思いつつ、そのまま完走者だけに贈られるTシャツを取りに行く。
Tシャツと完走メダルを手に入れると。今まで元気だった体にずしりと重いものが襲いかかる。ゴール直前の時には、まだまだ体力は残っている。これからホテルまで行くくらいだったら歩いて帰れるとの思いは今の私にはない。
何せ早くホテルに戻り、足を冷やしたら、そのままベッドにもぐり込みたいとの一心である。それ以外のことは何も考えられない。何とかタクシーを捕まえることができた。チップ込みのタクシー代を支払い、自分の部屋にまっしぐら、部屋に入ると、どっと疲れがおし寄せる。これがマラソンなのだと思い知らされたような気がする。シャワーで両足を冷やし続けること約20分、そのあと、そのままベッドに向かい熟睡。目が覚めると午後8時である。
テレビをつけると映画「インデペンデンスデー」がまさに始まるところであった。
夕食を食べながら映画を見ること約2時間、終わるとまたベッドにもぐり込む。


翌朝7時に目が覚める。昨日ホテルに戻った時の状態からすればかなり回復している。シャワーを浴び、朝食を取り、身支度をすませた。


 これから約3.5km先のカピオラニ公園まで歩いて行き、完走証をゲットする。ついでにホノルル・マラソンの完走者の名簿が載ったタブロイド判を手に入れるつもりだ。ホテルを出る。足の運びは依然とは明らかに違う。
歩くと痛みがでる。少しぐらい仕方ないと思いながらカピオラニ公園を目指して足を運ぶのみ。約40分後、会場に到着し、完走証とタブロイド版を手に入れた。完走証は後々の語り草になるに違いなと思いながらホッとする。
私の名前が入り、ホノルルマラソン協会会長のサインされた完走証、私がホノルルマラソンを確かに走った証になる。しばしタプロイド版で自分の名前を確認し、帰路に就く。この完走記事はホテルに戻る途上のマクドナルドで私の大好きなコーヒーを2杯を飲みながらまとめたものである。


これからホテルに戻り、会社の仲間にはメールで完走の知らせを送ることにする。息子には携帯電話で報告するつもりである。何といってくれるか楽しみである。


最後に、J ALホノルルマラソンに参加したとのこと。ドクターからのいろいろな注意点が話され、終了間際に、お風呂に入ったら、「体を洗いながら足の指一本一本、足首、ふくらはぎ、太もも、腰、手、腕、肩、首筋に至るすべての部分に感謝してください」 そうしたらきっと明日 は無事に完走することができます。この言葉はそのドクターから言われていたが、その時、ジョギングが大好きだった、亡き小山伊松先生(93才までジョギングを欠かさなかったお医者さんであり私の師匠)から言われているような気がしました。もちろん出発前のシャワーの時と完走後戻ってきたときのシャワーでくまなく自分の体に感謝し、私の今は亡き両親、兄弟、親戚、会社の仲間、友達、二人の息子そして亡き妻にも感謝しました。ありがとう。お陰で、トラブルの再発もなく長 い-長 い、しかも私の初めてのマラソンを無事に完走させてくれたことに心から感謝したい。このホノルルマラソンの完走が、これからの私を一層意義のある人生を送り続ける源泉になると信じております。ありがとうございます。



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